武田薫(スポーツライター)

 7月24日開催予定の東京オリンピックは、新型コロナウイルスの感染拡大によって中止か否かの瀬戸際に立たされている。

 残るは4カ月。森喜朗組織委員会会長をはじめ、橋本聖子五輪担当相、小池百合子東京都知事らは「開催以外の選択肢は考えていない」と強調するが、猛威を振るうウイルスの正体がつかめないのだから、「やる」という心意気だけを聞かされても始まらない。

 ただ、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が「開催する」と言い続けることには、それなりの意味がある。

 オリンピックは過去3度中止した。1926年のベルリン、40年の東京(代替地ヘルシンキも)、44年のロンドンはいずれも大戦によって中止に追い込まれたのだが、これらも大会回数に加えられている。オリンピック運動の本質が選手のパフォーマンスよりも、開催自体に存在意義を置いていることを示唆したものだ。

 古代オリンピックがそうだったように、近代オリンピックも大会中は武器を置くという「平和的機関」としての絶対的意義。「今年は都合が悪いから来年に」という相対的な姿勢は、少なくともこれまではとってこなかった。延期という選択肢はなく、残された時間、IOCはギリギリまで開催に向け努力するだろう。

 1908年にはローマ開催の予定が、ベスビオ火山の噴火で半年前にロンドンに移されている。ロンドンは近代スポーツの発祥地、まして2大会前に開催しているから、いつでも受け入れは可能だが、今回のウイルス禍は汎地球規模だから会場変更で片付かない。「やる、やらない」という仮定の話より、もっと論議することはあるように思う。

 今回の東京オリンピックの最大の課題は、アマプロ問題と考えてきた。オリンピックは84年のロサンゼルス大会でオープン化に踏み切ってアマプロの垣根をとり払った。

 ところが、アジア域でリーダー的存在のわが国では、伝統に脚を取られて改革が進まず、いまだにアマチュアリズムが4年に1度だけプロ集団を統括するような変則の形態が続いている。最近も曖昧なアマプロ関係を露呈した例があった。
東京五輪に向け、聖火を採火する巫女姿の女性(右手前)=2020年3月、ギリシャ・オリンピアのヘラ神殿(代表撮影)
東京五輪に向け、聖火を採火する巫女姿の女性(右手前)=2020年3月、ギリシャ・オリンピアのヘラ神殿(代表撮影)
 3月6、7日に兵庫県三木市でテニスの国別対抗戦デビス杯のプレーオフが行われ、日本はエクアドルに3連敗し、ファイナル出場権を失った。