その資本の本性が、歴史上一度だけ挑戦を受け、醜さを覆い隠したことがある。それがロシア革命であり、共産主義「体制」の出現であった。

 現代に生きるわれわれが普通に享受しているものとして、8時間労働制がある(日本では制度が脅かされているが)。これは、マルクスらが1866年に創設した第1インターナショナル(国際労働者協会)が呼びかけた課題である。

 20年後の1886年5月1日、米国の労働組合が全国的なゼネストを行って要求し、その後、5月1日がメーデーとされることになった。しかし、どの国の資本も、こうして労働者がゼネストをして要求しても、自己の利益を優先させて応じることはなかったのだ。

 そこに変化が生まれたのが、今からちょうど100年前、第1次大戦後のベルサイユ平和会議において、1919年に国際労働機関(ILO)が創設されたことだ。ILOの創設後、最初に採択された条約が、1日の労働時間を8時間、週の労働時間を48時間に制限する内容で、その後、この制度が世界に広がっていくことになる。

 また、ILOはこうした条約の採択を決める総会で、1国が4票を投じるのだが、うち1票は労働者代表に与えられることになっている(2票は政府、残り1票は使用者)。最近、国際条約の策定にあたりNGOが役割を果たす事例が増えているが、ILOはその先駆けであり、今でも最も先進的な仕組みとなっている。

 なぜそんな革命的な変化が生まれたのかといえば、ロシア革命があったからなのである。その秘密をILO関係者と日本の高級官僚に語っていただこう。
ILOのガイ・ライダー事務局長
ILOのガイ・ライダー事務局長
 ILOに関する概説書として20世紀を通じて親しまれたのが、1962年刊行の『ILO 国際労働機関』という本である。その著者の1人である労働省(当時)の審議官で、ILO総会の日本政府代表を務めたこともある飼手真吾氏は次のように述べている。

 (ベルサイユ)平和会議に臨んだ列国の政治家をして、平和条約において労働問題につきなんらかの措置を講ぜざるをえないと考えせしめるに至った決定的要因は、ロシア革命とその影響であった。


 飼手氏は、本著でこのことを書いた際、第4代事務局長であったエドワード・J・フィーランの同機関創設30周年記念論文を引用している。その記念論文は次のようなものであった。

 ロシアのボルシェヴィキ革命に引続いて、ハンガリーではベラ・クンの支配が起った。イギリスでは職工代表運動が多数の有力な労働組合の団結に穴をあけその合法的な幹部達の権威を覆えした。フランスとイタリーの労働組合運動は益々過激に走る兆候を示した。
(中略)
 平和条約の中で労働問題に顕著な地位を与えようという決定は、本質的にいえば、この緊急情勢の反映であった。平和会議は、条約前文の抽象論や、提議された機構の細目等については余り懸念することなしに労働委員会の提案を受諾したのである。こういう事情でなかったならば、おそらくは、機構の細目における比較的大胆な革新──例えば、国際労働会議において非政府代表者にも政府代表者と同等の投票権や資格を与えるという条項の如き──は、受諾し難いものと考えられたであろう。


 当事者自身が、ILO創設はロシア革命の影響だと述べているわけだ。それがなければ、労働者代表にも投票権を与えるような大胆な革新はなかっただろうと認めているのである。