これは当時の情勢を考えればよく理解できる。1917年10月に革命を成功させたロシア新政権は、1日の労働時間を8時間とする布告を直ちに発表した。

 この中で、「労働時間は『一昼夜に8時間および一週に48時間を超えてはならない』ことが確定された。……同布告によって休息および食事のために労働日の義務的な中断が定められ、休日と祭日が決定され、時間外労働の使用は厳格な枠によって制限された。女子および未成年者の労働に対しては特別な保護が規定され」(『ソヴィエト労働法 上巻』)たという。

 その半世紀前から、各国の労働者は1日8時間労働を求めてきた。それに対して各国の資本はそれに耳を傾けず、労働者を酷使してきた。政府も労働者に手を差し伸べなかった。ところが、社会主義を掲げて誕生したロシアで、一挙に8時間労働が実現してしまう。

 各国政府の驚きはいかばかりだっただろうか。当時、各国にも強力な労働運動が存在し、共産党を名乗る党もあった。そういう勢力が、ロシア革命の成功を受けて、8時間労働が夢物語ではなくリアルなものであることを実感し、フィーランが書いているように各国で革命を目指した運動を活発化させるのである。それが国民の支持を受けていた。

 自ら8時間労働を採用することを宣言しないと革命が起きてしまうかもしれない─。そういう恐怖感の中で、ロシアに続いて17年中にフィンランドが、翌18年にはドイツなど5カ国が、19年にはフランスなど8カ国が8時間労働制に踏み切ったとされる。ILOの8時間労働条約も、そのような動きの中での出来事であった。

 ここには、資本の横暴がどのような場合に抑えられるのかということについて、生きた事例が存在しているように思える。今の世界に求められているのも、資本の横暴を許したままにしていては、国民の暮らしが脅かされるにとどまらず、資本が存立している社会、地球さえ脅かされるということへの自覚である。もし、資本がそれに無自覚なままで居続けるなら、「2度目のロシア革命」が現代でも再現される必要があるのだ。

 ただしかし、2度目のロシア革命は、同じことの繰り返しであってはならない。新しくできる「体制」は、これまで理解されてきた共産主義体制とは、二つの点で異なるものであるべきだろう。

 一つは、既に述べたことだが、それが共産主義体制かどうかを判断する基準は、国民の自由権と社会権が共に高い水準で実現しているかどうかである。その実現を目標に据えるべきである。

 ここには2種類の含意がある。まず、自由権さえ不十分な国を共産主義と見なすなど、かつての愚は二度と犯してはならないということだ。同時に、社会権の実現のために必要だからといって、生産手段の社会化を社会主義の目標として位置づけることはしないということだ。
多くの人たちを前に演説するレーニン。ロシア革命を成功させ、ソビエト政府をつくった(ゲッティイメージズ)
多くの人たちを前に演説するレーニン。ロシア革命を成功させ、ソビエト政府をつくった(ゲッティイメージズ)
 これまで、共産主義運動の中では、生産手段(工場など)が資本家や大株主などにより私的に所有されていることが、社会の利益よりも私的な利益が優先される原因になっているとして、それを社会のものにすることが目標とされてきた。ロシア革命後に実施された国有化が破綻したことをふまえ、働く労働者の共有にするなど、いろいろな模索があったが、社会化の進展具合を共産主義実現の進展具合に重ねる見方は変わらなかった。

 しかし、この問題で一番大事なことは、国民の社会権が高い水準で実現することである。生産手段の社会化は必要なことではあるかもしれないが、それは「手段」にすぎない。