濱田昌彦(元陸上自衛隊化学学校副校長)

 先日、悲しい知らせが届いた。新型コロナウイルスによって、予定されていた「地下鉄サリン25年の集い」が中止になってしまったのだ。関係者の方々、特に事件で夫を亡くした高橋シズヱさんの心情を思うと、残念でならない。

 一方で、この事件(テロ)は確実に風化しつつある。消防関係者への講演においても、聴衆の大半が平成生まれということはよくある。サリン事件を知らない、覚えていない世代が、現場で、あるいは一般市民の中で大半を占めるようになった。

 無理もない。あれから四半世紀が経過しているのである。当時を知る者は、陸上自衛隊でも東京消防庁でも、退官しているか、あるいは逝去されているケースが多い。そんな中で、知見や教訓の伝承が困難になっているという声をよく耳にする。

 日本では、知見の多くが個人に蓄積されていることが多い。従って、その「名人」「権威」が退官すると組織の「知恵」が失われてしまう。これはわが国のナレッジマネジメントの弱点である。これは、消防・警察・自衛隊など、どこの組織でも見られる傾向である。

 それ以前に、そもそも本格的な事件の教訓分析はあったのかという声もある。日本のどの組織も目前の業務が忙しいので、まとまった資料は米国の元海軍長官、リチャード・ダンジグ氏の報告書の方が参考になるという見方まである。

 公安調査庁が最近公開した興味深い動画がある。「オウム真理教」は、形を変えて今も生きているという内容だ。「Aleph」(アレフ)や「ひかりの輪」といった組織が、若い人たちの間に浸透し、再び信者や資産を増やしているという。そうした現実も踏まえ、将来のテロに備えて今われわれが何をするべきかを考えてみたい。

 簡単に当時を振り返っておこう。1995年3月20日にこの事件(テロ)は起こった。死者13人、負傷者は約6300人に及んだ。注目すべきは、当日活動した東京消防庁職員の9・9%(135人)、実に1割近くに二次汚染被害が発生したことだ。このことが、その後の消防での化学テロ対応のあり方に大きな影響を与えることになる。

 当日の朝、旧営団地下鉄(現東京メトロ)霞ケ関駅を目指す5本の車両内で、同時にサリンが散布された。地下鉄サリンでは、1袋あたり500~600グラムの純度35%程度のサリンが使われた。
日比谷線築地駅前の路上で手当てを受ける地下鉄サリン事件の被害者=1995年3月20日
日比谷線築地駅前の路上で手当てを受ける地下鉄サリン事件の被害者=1995年3月20日
 この事件の前年には、松本サリン事件が発生しており、捜査で追い込まれていたオウムに、サリンを再蒸留して精製する余裕はなかった。溶媒のジエチルアニリンなどはそのまま含まれていたため、多くの被害者が異臭を感じたという。本来、サリンは無色無臭のものである。

 なお、事件当時、駅の空調は稼働していた。これに関しては、空調吹き出し口に被害者を待機させたためにサリンが飛散し、症状を重くさせたという指摘がある。一方で、空調システムがしっかりしていて稼働し続けていたからこそサリン濃度が高くならなかったという見方もある。