当時レベルAで行動している消防関係者とは対照的に、普段のままの(レベルD相当)救急隊員が混在していた。また、原因物質がサリンと判明した後も、レベルAが使われ続けていた。これはレベルBやレベルCの装備が現場になかった時代であったためと推察される。

 陸自の場合、専門部隊である化学科はブチルゴム(合成ゴム)の化学防護衣と防護マスクを装着したレベルCで行動した。吸収缶は活性炭+HEPAフィルターのもの。普通科部隊は活性炭繊維の戦闘用防護衣のみである。なお、25年前には陸自にさえレベルA装備はなかった。戦場において、宇宙服のようなタイプが必要とは考えにくかったためであろう。

 現在では、化学テロも考慮し、レベルAだけでなくレベルBやCをバランスよく装備する消防も多くなっている。また、陸自も化学科部隊を主体にレベルAを装備するようになってきた。市街地の戦闘や対テロ作戦において、高濃度ガスや酸素がない状況も想定してのことである。

 さらに、防護に関連してゾーニング(区域設定)という考え方は当時なかった。だからこそ、多くの消防隊員がホームまで降りて状況確認や救助を試みて二次被害にあったのである。昨今の新型コロナウイルスで話題となっているゾーニングだが、「Nuclear」「Biological」「Chemical」(NBC)事案では風向きを考慮し、風下に原因物質が推定される場所に適宜ホットゾーンを設定していく。現在では、ゾーニングの考え方は、多くの消防関係者に浸透しているためホットゾーンに不用意に入ることはないであろう。

 ただ、これはCBRNeテロのスイッチがタイミングよく入ったという前提に立っている(CBRNeとは、化学:Chemical、生物:Biological、放射性物質:Radiological、核:Nuclear、爆発物:Explosiveを指す)。

 最近では、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄で2017年にマレーシアで殺害された金正男(キム・ジョンナム)氏をVXにて暗殺した事件にしても、英国で2018年にロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の元大佐らが神経剤のノビチョクで襲撃された事件にしても、それが化学剤に絡んだ事態であることは、初動においてはまったく認識されていない。

 3日ほど、もしくは10日ほどたってから、ようやくスイッチが入るというのが実態である。もちろん、揮発性のサリンとほとんど気化しないVXやノビチョクを簡単には比較できないし、暗殺と大量殺傷型テロを単純に比較はできないが、最初のスイッチを入れることの難しさは認識しておくべきであろう。

 そもそも、25年前に「除染」という言葉を知っていたのは、陸自の化学科関係者くらいではなかったかと思う。ちなみに、除染は米軍教範の中にあった英語の「de」(除)と「contamination」(汚染)をそのまま素直に和訳したものだという。旧軍の「除毒」という用語にする案もあったらしい。15歳も年上の先輩から聞いた話である。
地下鉄サリン事件を受け、丸ノ内線の後楽園駅で車両を洗浄する自衛隊員=1995年3月20日、東京・文京区(陸上自衛隊提供)
地下鉄サリン事件を受け、丸ノ内線の後楽園駅で車両を洗浄する自衛隊員=1995年3月20日、東京・文京区(陸上自衛隊提供)
 その除染は、地下鉄サリン事件ではまったく実施されなかった。従って、医療関係者も含めて多くの二次被害を出すことになった。あのときに組織的な避難や脱衣の着意があったなら、と思う。その後、除染テントなど器材の充実、訓練の活発化が進んで今日に至っている。