日本ではこれまでオートインジェクターの検討はなされてこなかった。しかし、地下鉄サリン事件のようなケースでは自動注射器で対応しなければ救えない命があることは明らかだった。そんな中で、東京五輪・パラリンピックを前にして、日本でも自動注射器を準備しておこうという動きが出てきている。しかもスタジアムなどで何かあったときには、医師でなくても使えるようにする予定である。

 だれがどうやって化学テロ(CBRNeテロ)のスイッチを入れるかという問題は依然として残る。また、COP(Common Operational Picture )という「同じ絵を当初から関係者全員で見て動く」ことも求められる。いずれも、難しい課題だ。

 また、よく指摘されるのは、パターン思考に陥っていないかという点である。「地下鉄サリン事件で止まっていないか」「いつも同じようなシナリオで、ワンパターンな検知と除染の訓練で終わっていないか」というのは、陸自の現役のころに某師団長からよく指導があったところである。

 さらに、時間(スピード)の概念を初動対応において重視しないと、このままでは患者を助けられないとの思いも関係者の間で強い。特にゾーニングや除染のプロセスにおいて「時間は命」という認識が広がっている。

 エージング(化学物質への解毒剤の有効時間)の早いソマン(2分)まで視野に入れると、さらにスピードが求められる。なお、除染の困難性で言えば、北朝鮮が保有しているとみられる粘性ソマンは極めて粘性が強く、通常の除染要領では対応できないと言われている。

 その他に、検知器につきものである誤報(一部成分が同じゆえニンニクをマスタードガスとして認識してしまうなど)、サンプリングと「Chain of Custody(履歴管理)」という人やモノの流れを記録することの重要性。偽物や不審物への対応手順、化学テロにおいていつもレベルAが必要かという疑問、それに関連して「防火衣+空気呼吸器(SCBA)」でサリンの中へ突入しても30分程度なら倦怠(けんたい)感や発汗増加があるだけ、という米国陸軍の検証結果の取り扱いなど、議論すべきことは多く残っている。

 先にも触れた除染に関して言えば、「除染のシャワーを待つな! 苦しんでいる人を前に、本格的シャワーシステムの到着を延々と待つのか? できることはないか?」という共通認識は、全国の消防の中に相当浸透してきていると思う。また、日本災害医学会(JDAM)のMCLS-CBRNe(化学物質などによる大量殺傷型テロ対応)コースなどを見ていてそう感じる。

 「全く同じことは起こらないが、大事件は姿を変えた形で再び起こる」というのが、警察関係者の言い伝えとしてあるという。われわれは、この25年間でありえないようなテロや事件、事故をいくつも見てきた。
防護服を着て化学テロなどを想定した訓練に取り組む警察官や消防隊員ら=2018年6月、川崎市(外崎晃彦撮影)
防護服を着て化学テロなどを想定した訓練に取り組む警察官や消防隊員ら=2018年6月、川崎市(外崎晃彦撮影)
 米同時多発テロ「9・11」や東海村JCO臨界事故、東日本大震災の津波による福島原発事故など、どれを取っても想像をはるかに超えていた。こうした事件や事故を踏まえれば、誰が地下鉄サリン事件を予測できただろうか。同じように、誰がVXによる暗殺を、ノビチョクの使用を予測できたかという思いがある。

 これからの25年でも、予期しない大変な事態は起こるだろう。それは、新たな形での化学テロかもしれない。そのときに現実的に対応できるだろうか。思考停止を越えて、考え続けようと思う。