小倉正男(経済ジャーナリスト)

 1987年前半のことだが、住友不動産の安藤太郎会長(当時・故人)に取材した。通称「アンタロー」と呼ばれた不動産業界の重鎮である。

 87年は「円高不況」といわれていた時期だった。85年のプラザ合意後に日本を襲ったのは大幅な円高だった。1ドル=240円の為替レートは87年には1ドル=120円になっていた。メディアは「円高不況」と騒いでいたものだ。不動産価格も落ち着いていた。

 しかし、87年8月頃に突然不動産バブルが爆発した。行き場のない過剰流動性が不動産、株式に流れ込んだわけである。安藤会長に取材したのはバブル勃発の数カ月前だった。

 取材が終わると、たまたま「特別な部屋」を通り過ぎることになった。その部屋には東京都の地図が貼られており、地図に赤、白、青などカラーボッチのピン針が集中的に刺されていた。カラーのピン針は、「ここは今オフィスビルを建てている」「ここは今地上げをしておりいずれオフィスビルになる」などを一目瞭然で示すものだった。

 「霞が関には中央官庁があり、この霞が関、虎ノ門の周辺地区のオフィスビルは有望だ。高い家賃が保証される。銀行の頭取などの給料、ボーナスは霞が関の役人が決めているようなものだ。だから霞が関や虎ノ門の周辺地区はオフィスビルとして有望だ。霞が関から離れているところは高い家賃は取れない」

 安藤会長は、住友銀行(当時)副頭取から住友不動産社長に転じたキャリアを持っている。少し荒っぽい話だが、銀行頭取を例にして霞が関周辺不動産の潜在価値を語ったものである。

 安藤会長は、国土審議会会長として「四全総」(第4次全国総合開発計画)を策定した。東京一極集中か、多極分散か、「四全総」は揺れ動いた。安藤会長には激しい毀誉褒貶(きよほうへん)がある。だが、経営者としては、今の東京、さらに今の地方の姿を捉えていたのは間違いない。東京都心の地図に刺されていた色とりどりのカラーボッチのピン針がそれを示している。
住友不動産会長などを歴任した故安藤太郎氏
住友不動産会長などを歴任した故安藤太郎氏
 1987年夏にバブル勃発、1991~92年のバブル崩壊、2000年代は金融恐慌・再編成を経て、未曾有の長期停滞「失われた時代」を経験した。世界では、その92年を起点に今の「グローバリゼーション」が拡大し、中国があっという間に「世界の工場」にかけ上がった。「グローバリゼーション」の激変がもたらしたのは、かつて世界を制覇していた日本の製造業の「空洞化」だった。

 日本の製造業は、国内に閉じこもってひたすら「垂直統合」型でモノづくりを行ってきた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳(うた)われ、世界的な成功を収めてきたシステムである。下請けを含めてグループ化、系列化で囲い込んだ閉鎖的なサプライチェーンが特徴だった。この「ニッポン株式会社」と揶揄(やゆ)された強力なビジネスモデルがあっさりと崩壊した。

 世界のモノづくりは、中国を中心にした「水平分業」型のグローバルサプライチェーンに雪崩を打って変貌を遂げた。

 日本の家電製品などアセンブル(組み立て)工場はほぼ絶滅した。「ニッポン株式会社」は過去の成功体験に縛られ、パラダイム転換に対応できなかった。