当時の台湾では、毎年のように数千人のコレラが発生していたほか、各種の疫病が蔓延していた。日本から赴任した人たちも次々病に倒れ、日本に送り返されていた。

 後藤は「伝染病の予防は上下水道の設置から始まる」と述べ、自分が台湾産業振興のために敷設した道路ネットワークも活用しながら、上下水道の整備を進めた。

 上水道では、台北郊外を流れる淡水河から水を引いて、大規模な沈殿池を整備した。さらに、台北城の城壁を壊し、環状道路を建設する一方で、城壁を壊した石でつくった大きな排水パイプを敷設し、下水道とした。雨水処理については、道路に沿って開渠(かいきょ)式の下水を通した。

 台湾を代表する対日関係の専門家、謝森展は著書『台湾回想』で「当時、下水溝の装置は台湾の如き理想的なものは少ない。これは後藤民政長官の発案による」と記した。われわれは今日、台湾各地の博物館で後藤の顔写真や銅像と共に、これらの功績を容易に知ることができるし、一般の書店には並べられている歴史書等の記述にもお目にかかることができる。

 ひるがえって、感染が拡大している新型コロナウイルスへの対策は世界中で急務だ。中でも、台湾が実施した中国に対する入境禁止やクルーズ船の寄港禁止といった水際対策、学校の休校措置のような国内の蔓延対策が早かったこと、マスクの流通管理などIT活用をはじめとした情報管理の優秀さが、日本でも報じられている。各国政府の対策を評価するのは尚早だが、台湾の防疫政策が進化していることだけは間違いない。

 後藤の防疫対策は、初期における防疫対策としての水際作戦、そしてその前段階におけるインフラ整備の両面において優れていて、今日の防疫対策の基本を押さえているといってよい。

 これに対して、日本では、感染が蔓延している地域からの入国を本格的に制限する措置が3月に入ってからと大幅に遅れてしまった。他にも、陽性・陰性を判定する検査態勢整備の遅れ、感染症指定医療機関の病床確保の遅れ、さらにはマスクや消毒用アルコールなどの買い占め対策の遅れなど後手に回った感が否めない。このような現状に接すると、100年以上前の日本の防疫対策に比べて退歩している印象が強い。
長野県松本市の松商学園高校で発見された後藤新平直筆の扁額
長野県松本市の松商学園高校で発見された後藤新平直筆の扁額
 防疫対策は、一般的に政治家には向いていない。国民に不人気な対策や、他国に厳しく外交上マイナスに働く対策が中心を占めるからである。今からでも遅くない。現場を知る専門家と実務家を登用し、判断・実施させ、責任は政治家がとるといった姿勢を明確にした方がいい。