日韓国交回復交渉の経緯


 最近、興味深く読んでいるのが、『中央日報』(韓国語版)で連載されている金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相の「笑而不答」と題する回顧録である(連載は3月2日から5月11日まで続いた)。金鍾泌とは五・一六軍事クーデターで朴正熙政権誕生の立役者となった人物であり、日韓国交回復交渉でも大きな役割を果たした韓国政界の重鎮である。

 韓国は日本に対し、サンフランシスコ講和条約締結が終わるとすぐに賠償を要求しているが、1952年1月、一方的に日本海・東シナ海に軍事境界線「李承晩(イ・スンマン)ライン」を引いた上、日本人漁船員4000名以上を抑留、拷問したことで、1953年10月から4年半近く交渉が途絶えている。

 日韓交渉が軌道に乗り始めたのは、安保闘争によって岸信介内閣が退陣し、池田勇人内閣が誕生した1960年10月の第5次日韓会談からである。

 だが池田は当初、日韓問題については積極的ではなかった。彼を前向きにさせたのは、米国のケネディ大統領からの説得であった。池田内閣の影の官房長官と呼ばれる伊藤昌哉は「『池田さん、あんたに頼みがある。日韓だ。韓国の問題は日本が中心になってまとめなければ、どうしてもまとまらないという決定的なキー・カントリーだ、日本が。それをあんたにやってもらいたいと思う』とケネディが頼むんだよ、池田に」と当時を回想している。

 韓国では李承晩政権が崩壊。野党の民主党が政権を樹立し、尹ボ善(ユン・ボソン)を大統領、張勉(チャンミヨン)を国務総理とした「第二共和国」が誕生した。

 当時の韓国は農工生産も日本統治時代以下の水準となり、毎年1000万世帯の農民が深刻な食糧不足に困窮。約700万人の失業・半失業者が恒常化しており、北朝鮮やフィリピン等より貧しい状況であった。このとき、北朝鮮からは金日成によって朝鮮統一提案が韓国に行なわれている。当時の北朝鮮は経済発展が目覚ましいとされ、韓国では朝鮮統一の機運が急速に高まりつつあった。

 張勉は日本からの支援を求めるため、李承晩からの政策である反日を外し、日本へと接近。日本もまた韓国の赤化を止めるため、協議を再開させる必要があったのである。

 しかしこの協議も1961年5月には「反共を国是の第一義とし、今日までの形式的口合に終わった反共態勢を再整備、強化する」ことを革命公約に謳った朴正熙少将を中心としたクーデターによって中断することになる。朴大統領も日本やアメリカと同様に日韓会談に積極的であり、日本から資金を引き出し、経済危機を乗り越えようとしていた。

 日米韓3カ国にとって、日韓提携は韓国経済の発展のみならず北朝鮮への対抗としても望ましい選択だと考えられたのである。

 領土問題や歴史問題などは、1965年1月に日本の国務大臣河野一郎と丁一権(チョン・イルグォン)国務総理のあいだで「解決しなければならないものとして解決したものと見做(みな)す」という「丁・河野密約」(竹島密約)により棚上げされ、日韓交渉の最大の焦点は請求権問題となった(ただし、竹島密約は韓国側が主張しているものであり、日本政府は存在を否定している)。

 賠償請求の金額については両者の溝は大きく、韓国側は8億ドルもの賠償金を要求するのに対し、日本側は8000万ドルであった。

 両者の主張が平行線をたどるなか、大平正芳外務大臣(のちの首相)は「経済協力」によって請求権を肩代わりすることを思い付く。大平の構想は純粋請求権、無償供与、長期借款の三本柱で約3億ドルとする総額方式をとり、外貨ではなく役務や資本財を充てるものであった。大平は金鍾泌中央情報部長と会談し、無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル以上という条件で日本が韓国に対し経済協力をすることで合意した。「金・大平メモ」である。

 この結果、日本は韓国と「日韓請求権並びに経済協力協定」を結んだ。本協定によって日本は韓国に対し3億ドルを無償で支払い、2億ドルを低利融資することを定めた。このほかにも3億ドル以上が民間借款として低利融資されている。

 1965年当時、日本の一般会計予算は3兆7000億円であり、韓国の国家予算は3.5億ドルであった。無償供与だけで韓国の国家予算に匹敵する巨額の賠償金が支払われたのである。

 マスコミなどはあまり取り上げないが、日韓交渉の際には、韓国に残してきた日本人の財産に対する請求権の放棄も行なわれている。日本が韓国に残してきた財産は、GHQの調査によると53億ドルにのぼっている。日本はこの53億ドルもの請求権を放棄し、加えてこれだけの賠償金を支払うことを決断したのである。
1964年6月3日、日韓交渉に反対してソウル中心部に集結した学生ら(奥)と治安部隊(「写真と読む 大統領朴正熙」から)

 1963年2月14日の参院予算委員会において、日本社会党の戸叶武(とかのたけし)は大平に対し、「日本人の国民感情ということをもう少し日本の外務大臣だから知っておくことが必要だと思う。(中略)韓国に行ってから、あの大風呂敷の大野副総裁ですら、大平というやつはとんでもねえことをしちゃって」と発言し、対韓妥協について日本国民の感情に配慮すべきではないかと質問したように、当初の対韓妥結金額が8000万ドルであったことを思えば、日本の国民感情と乖離し韓国側の主張をほぼ呑んだ形で賠償金問題は片付いたのである(池田も大平が勝手に金額を締結したことに激怒し、その後両者の関係は悪化していく)。

 だがこれほどの巨額の賠償金を韓国政府は個人にはほとんど支給せず、韓国の経済基盤を整備するために使用した。韓国政府はこのことを長く隠していたが、2009年に徴用工の未払い賃金も含まれていたと公式に弁明している。

 韓国は日本からの多額の資金を元にして「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げて現在に至っている。