2020年04月24日 13:17 公開

オウエン・エイモス、BBCニュース

新型コロナウイルスの流行以降も航海を続けていたクルーズ船3隻が20日、ようやくその旅を終えた。そのうちの1隻「MSCマグニフィカ」の旅路は大変なものだった。

MSCマグニフィカは1月に欧州を出発。ちょうど各国で港の封鎖が始まる直前だった。

行くところがなくなった同船は帰路に着いた。かつては数日おきに新しい港に上陸していた乗客は、6週間にわたって陸地から遠ざけられた。

彼らが最後に上陸したのはニュージーランドのウェリントン。そして今月20日、フランス南部マルセイユでようやく船を下りることができた。

政治の嵐、大統領の嘆願、死亡事故といった困難を乗り越えた旅路には、楽しい出来事もたくさんあったという。

マグニフィカがイタリア・ジェノアを出発した1月5日、世界は今とはまるで違って見えていた。

当時、「原因不明の肺炎」には名前がついていなかった。死者は出ておらず、世界保健機関(WHO)はこれまでに59人が感染し、全員が中国・武漢にいると話していた。

イタリア人、フランス人、ドイツ人が大半を占めるマグニフィカの乗客1760人のほとんどが、新型コロナウイルスについて聞いたことがなかったと言っても過言ではない。船内のバー「バル・デル・ソレ」から日没を眺め、レストラン「クアトロ・ヴェンティ」で食事をする彼らの心は高揚していた。

この船のトップは、シチリアの小さな町リポスト出身のロベルト・レオッタ船長。タンカーで3年勤務、イタリア海軍に1年在籍した後、32年間にわたってクルーズ船の仕事についている。

多くのリポスト出身者同様、レオッタ船長の父親も祖父たちもみな船乗りだった。BBCの取材でレオッタ氏は、「私のDNAに刻まれているのです」と語った。

欧州を出発後、マグニフィカはアフリカ西岸のカーボ・ヴェルデに止まってから大西洋に乗り出した。1月19日にブラジルに停泊する頃には、新型ウイルスは中国以外にも拡散しており、レオッタ船長にも連絡が来た。

「私たちはいつでも、あらゆる地元当局と連絡を取ってきます。しかし事態が不安な方向へ向かったのは、南米以降のことでした」

船は21日にチリを出発し、3日後に南太平洋のイギリス領ピトケアン諸島に到着した。ニュースには、クルーズ船が取り上げられるようになった。

港はクルーズ船の寄港を拒否し、船内で隔離された乗客に死亡者が出た。日付変更線にほど近い人口2000人の島、アイトゥタキ島も不安を感じていた。

マグニフィカは3月2日に、ターコイズブルーの環礁と白い砂浜で有名なクック諸島・アイトゥタキ島に到着する予定だった。

しかし新型コロナウイルスの脅威が迫る中、地元住民の懸念は高まった。

島はクルーズ船に経済を依存しているが、クック諸島政府に寄港拒否を要請した。マグニフィカはCOVID-19患者がいなかったため、アイトゥタキではなくクック諸島の首都ラロトンガへの寄港を許された。

これが、新型ウイルスがマグニフィカの乗客の計画を変えた最初の出来事だった。

スイス出身のアンディー・ゲルバーさん(69)は、今回がクルーズ船での20回目の旅だった。

クック諸島の次に訪れたニュージーランド・オークランドでは、日差しの中でビールを楽しんだ。ネイピアではアール・デコの風景に親しみ、ウェリントンではケーブルカーに乗った。しかし最大の楽しみは、ウェリントンから1週間後に予定されていた、シドニーでの70歳の誕生パーティーだった。

ゲルバーさんはBBCの取材で、「かなり前からシドニーのステーキハウスを予約して、たくさんの友人と誕生日を祝う予定でした」と話した。

オーストラリアに着くまで、マグニフィカの航路は幸運に恵まれていた。アジアで新型ウイルスが発生した1月、この船は南米にいた。この地域に新型ウイルスが到着したのは2月下旬のことだ。

ニュージーランド到着時、同国での感染者はたった5人で、渡航歴があるか、そうした人のパートナーや親族だった。

しかし3月14日、マグニフィカがオーストラリアのタスマニア島に近づく頃には、新型ウイルスが船に追いついてきていた。タスマニア島では感染者が5人出ており、事態は悪化の一途をたどっていた。

船はホバート港への寄港が許されたが、レオッタ船長は乗客がみやげ品以上のものを船に持ち帰ってくると確信していた。

「乗客にとっては安全に船にとどまってもらうほうが良いと判断しました」とレオッタ船長は語った。

1月にジェノアを出発した際にはあまりにも大きく見えていた世界が、突如として小さくなってしまった。

レオッタ船長は、「どこにも行き場がないことははっきりしていました」と話した。

そしてシドニー到着後、レオッタ船長は世界周遊を打ち切ると発表した。ジェノアへ戻ることになったのだ。一生に一度の旅は、半分で終わってしまった。

ゲルバーさんもステーキハウスには行けず、シドニーの素晴らしい景色を眺めながら船上で70歳の誕生日を祝うことになった。

「最初はひどい! と思いました」とゲルバーさんは振り返る。

「でもショックの後には、船長が私たちを船を下ろさない判断をしたことに感謝しました。私たちは99.999%安全ということですから」

世界周遊が中止になった際、乗客は厳しい条件の下ではあったが、そのまま帰路に着きたい場合にはシドニーかメルボルンでの下船が認められた。数百人がこれに応じたが、残りの大半の乗客はその先の5週間、1万9000キロにわたる長い旅路を受け入れた。

マグニフィカはオーストラリアの後、南太平洋のニューカレドニアへ向かう予定だった。しかし船が向かったのは南ではなく、政治の嵐の真っただ中だった。

クルーズ船は寄港する際、船内に感染症の患者がいないことを示すために港湾当局に医療記録を提出する必要がある。

マグニフィカが西オーストラリア州のフリーマントルへ近づいたとき、過去2週間に250人が診療室を訪れたという記録があった。多くは頭痛薬や塗り薬をもらいに来た人たちで、いたって通常の訪問だった。COVID-19が船内に入り込んでいるという兆候は一切なかった。

マグニフィカはフリーマントルで燃料と必需品の供給を受けるだけで、下船の予定はなかった。そのため、西オーストラリア州のマーク・マクゴワン知事の記者会見を見たレオッタ船長は驚いてしまった。

マクゴワン知事は会見で、「現在、250人以上の乗客が上気道感染症を発症しているとのことです」と話していた。

「この日の朝、私はオーストラリアのスコット・モリソン首相と話をしました(中略)シドニーで起きたことをここで起こすわけにはいかなかった」

「乗員乗客に街中へ行くことは絶対に許しません。これは交渉の余地のない立場です」

別のクルーズ船「ルビー・プリンセス」は3月半ばにシドニー湾に入港した際、乗客2700人の多くがせきなどをしていたものの、そのまま下船させた。その後、130人以上が新型コロナウイルス陽性と判定され、当時としてはオーストラリアで最大の感染源となった。

マクゴワン州知事はどうしたわけか、誤った情報を手に入れていた。情報は錯綜していた。乗客はみな健康で、誰も下船しないつもりだったが、マグニフィカはニュースのトップを飾った。

運営会社のMSCクルーズは、船内には呼吸器疾患やインフルエンザのような症状を訴える人はいないと強調したが、西オーストラリア州は同社が「一貫性のない助言」をしたとして非難した。

いずれにせよ、マグニフィカをフリーマントルで出迎えたのは警察と国境警備隊、そして数人の抗議者だった。

「良くない出来事だったと言えるでしょう」とレオッタ船長は振り返る。

「残念でした。そもそもフェイクニュースのせいでした。間違っていたのです。それでもニュースがすぐに世界中を駆けめぐってしまうことは想像に難くありません」

それでもマグニフィカは、フリーマントルでの供給を許された。しかしその後、すぐにまたニュースをにぎわせることになる。

フリーマントルで地元テレビ局がマグニフィカを撮影し、政治家たちが記者会見を開いている中、アヌラ・ヘラスさん(31)はデッキの下でいつも通り働いていた。

クルーズ船のシェフという仕事はただでさえ重労働だが、乗客が立ち寄った港に上陸できないとなると、さらに厳しいものになった。しかしスリランカ・カンディー出身のヘラスさんは、厳しい職場環境に慣れていた。

ヘラスさんはスリランカのホテル業の学校を卒業して以来、7年にわたってシェフとして働いてきた。最初はスリランカで、それからアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビやドバイではたらき、2017年8月からMSCに入社した。

「ドバイでは、給与は十分にありましたが貯金ができなかった」とヘラスさんは説明する。

「クルーズ船に乗れば貯金もできるし、世界中を旅することができると思ったのです」

オーストラリアを出発後、マグニフィカはドバイで「技術的な停泊」をする予定だった。しかしそれが不可能になったため、スリランカの首都コロンボへ寄港することになった。

しかしこの頃までに、ヘラスさんは欧州へは戻りたくなくなっていた。到着後には隔離が待っているが、それはどれくらいの期間なのか? スリランカの自宅に戻れるのはいつになるのだろう?

ヘラスさんは、コロンボで自分をおろしてほしいと、上司に掛け合ってみることにした。

ヘラスさんの主張は理にかなっているように思えるが、スリランカ政府は下船を認めないだろう。ヘラスさんは祖国が近づいて、また遠ざかっていくのを、デッキの下から眺めなくてはいけないかもしれない。

そこでヘラスさんは、コロンボ到着を2日後に控えた4月4日、シェフの格好をした状態で、スリランカの大統領と首相宛てに1分半ほどの動画を撮影した。

ヘラスさんはシンハリ語で、下船させてくださいと訴えた。私は船内で唯一のスリランカ人です、イタリアから戻ってくるのはとても難しいです、と。

動画を投稿した後、ヘラスさんは仕事へ向かった。スリランカのジャーナリストの友人にも動画を送ったが、期待はしていなかった。数時間後に仕事を終わらせたヘラスさんは、自分のキャビンへと戻った。

「寝ようと思ったのですが、家族が電話してきて、フェイスブックを見るようにと言われました」とヘラスさんは語った。

「なので見てみると、たくさんの人が私のメッセージを拡散していたのです」

地元メディア「アペ・ラタ」のウェブサイトでは、ヘラスさんの動画は50万回以上再生された。誰もがこのカンディー出身のシェフと話したがっていた。

「政治家、海軍、陸軍、色んな人が電話してきました。夢のようでした。何もかもがとても速く動いたのです」

スリランカの大統領は規制を緩めることを決定し、マグニフィカが燃料補給のためにコロンボに立ち寄った際、ヘラスさんは下船することができた。

「スリランカに帰れるよう祈っていましたが、実現するとは思っていませんでした」とヘラスさんは語る。

「スリランカの全国民が、あらゆる人が助けてくれました」

最終決定権を持っていたレオッタ船長にとっても、ヘラスさんの件は初めての体験だった。

「彼は下船するという不可能を可能にした。誇りに思っています」

しかし、コロンボで下船したのはヘラスさんだけではなかった。ドイツ人の75歳の女性がCOVID-19以外の理由で救急治療が必要となり、上陸した。この女性はその後、悲しいことに亡くなってしまった。

ヘラスさんはといえば、引き続き海軍の施設で隔離されているものの、間もなくカンディーの母親に会いにいけると希望を抱いている。

クルーズライン国際協会によると、マグニフィカは乗客を乗せて運航している最後のクルーズ船3隻のうちの1隻だった。

残りの2隻のうち「パシフィック・プリンセス」はロサンゼルスに、「コスタ・デリツィオーサ」はバルセロナにそれぞれ到着している。

シドニー湾で70歳を迎えたゲルバーさんは、「世界で最後のクルーズ船」での生活は、上陸の機会こそ減ったものの、楽しいものだったと振り返る。

「ジムにゲーム、数々のショー、ダンス教室……やろうと思えば、やることはたくさんありました」

「プールが2つに完璧な天気、食べるものも飲むものもたくさんありました。それから長い航海の間にたくさんの友人ができました」

フェイスブックに作られた乗客用フォーラムも活気付いていた。マグニフィカにはCOVID-19どころか、狭い船内に閉じ込められることで起きる発熱や不安症といったものも襲ってこなかったようだ。

乗客同士のいさかいなども見られるものの、フォーラムには歌や踊りを写したたくさんの写真が投稿されている。4月10日に行われたショーの写真には「世界で営業を続けている唯一の劇場かも?」というキャプションが付けられていた。

レオッタ船長も、あらゆる困難を乗り越えてなお、今回の旅路には幸せな思い出があると話した。

「COVID-19によって人々が隔離され、互いに距離を置くような状況が世界中で見られます。でもここでは違いました。乗員乗客が家族のようになりました。美しい光景でした」

しかしクルーズ業界はどうなるだろうか? 悪意ある報道や相次ぐキャンセルなど、COVID-19がもたらした問題から立ち直れるだろうか?

レオッタ船長はこの質問に、「私たちは再び旅に出ます。その時には豊富な経験と共に、もっと準備を整えるでしょう。今回のことで色々なことを学んでいますし、今まで以上に強くなっていますから」と答えた。

(英語記事 The 'last cruise ship on Earth' finally comes home