武田薫(スポーツライター)

 女子テニス協会(WTA)は、8月10日からカナダのモントリオールで開催予定の「ロジャーズ・カップ」中止を決めた。正確には、来年まで延期するという発表だ。

 この大会はトロントとモントリオールで交互に開催されてきた旧カナダオープンで、1980年から男女を分けて両都市で交互に開催されている。だが、男子プロテニス協会(ATP)ツアーのトロントはまだ中止を決めていない。

 テニスは、男女ツアーが既に7月のウィンブルドンまで全大会の中止を決めた。8月最終週に行われる最後のグランドスラム、全米オープンにしても、会場の屋根付きコートには備蓄食料が置かれ、施設内にも臨時病院として多数のベッドが設置されているのが現実だ。世界ツアーを展開するテニスの動向から来年のオリンピック・パラリンピックの先行きも見えてくる。

 国内でもプロ野球が開幕できず、夏の高校野球もまったく見通しが立たない。現在が止まっていると、過去も未来も書く気にも読む気にもならないもので、スポーツはナマ物ということを改めて知る。

 ところで、80年代にスポーツのプロ化が一気に進み、それまで限られた地域、階層、性別の特権だったスポーツが全世界、全社会、全世代に溶け込んだ。

 スポーツのプロ化は冷戦構造崩壊の象徴であり、スポーツは「不要不急」から生活の一部になった。オリンピックの4年に1度の祭典という位置付けも変わっていることを再認識する必要があるだろう。

 こういう指摘はタブーのようだが、東京大会の開催は無理だ。未曽有の災害とはいえ、祭に延期はない。平和裏にどう中止に落とし込むか、その手続きが慎重に進められているのだと私は思う。
東京都庁(左)と東京パラリン ピック 2020年のロゴ(gettyimages)
東京都庁(左)と東京五輪2020年のロゴ(gettyimages)
 野球やテニス、サッカー、ゴルフはオリンピックでなくともその醍醐味(だいごみ)を味わうことができる。陸上競技も4年に1度の開催でスタートした世界選手権が今や隔年での開催で定着し、世界記録のほとんどはオリンピック以外の舞台でつくられている。

 それでも、オリンピックでなければ見られない種目も多い。私が特に楽しみにしていたのは、主に重量挙げやフェンシングだった。

 重量挙げは孤独な競技だ。筋肉の量によってこれだけの重量が上がるはずだという数値が弾き出される。ウエイト・リフターは、その数字と目の前に冷たく横たわる鉄塊に立ち向かうのだ。80年代を代表する重量挙げ選手の砂岡(いさおか)良治は無口で温厚で顔立ちもいい好青年だった。