現代語訳すれば、「今、川を渡ろうとしたのだが、おりふし五月雨の頃なので、川が増水している(ので渡河できない)」という意になろう。そして、上総介忠清の本姓は「藤原」で、「上総介」も信長の官途だった。こうした点から、付句の「水上まさる 庭の夏山」を評価する。

 三句目の紹巴の「花落つる 流れの末を せき止めて」は、『源氏物語』の「花散里」が原型になっているという。光源氏は、政敵の右大臣と娘によって官位を剥奪され、都から追放された。光源氏は失脚を予見して、愛人の花散里のもとに別れを告げるために訪れる。それが五月雨のときだった。

 また、津田氏は右大臣が信長の官職だったことにも注目すべきという。光源氏の危機は王権の危機であり、それを今の朝廷の危機になぞらえたとし、紹巴は朝廷から光秀のもとに送り込まれたと述べる。

 それは、同じく紹巴の「一筋白し 月の川水」という句でも裏付けられると指摘する。中国の伝説によると、月には桂の大樹があり、その根元から清流が湧いて川になるといわれ、王朝の和歌でも好まれたという。

 津田氏は「月の川水」こそが、光秀が渡河した「桂川」であることが決定的であると論じる。つまり、紹巴は光秀に対し、桂川を渡って、京都攻めを促しているというのである。それは、朝廷の使者として信長討ちを促したということになろう。

 しかし、連歌は場の文学である。連衆が心を合わせて、一つの作品を作らなくてはならない。その場で、一瞬のうちに古典のさまざまな場面が脳裏を駆け巡り、そうした意思表明ができるのか。極めて疑問である。結論から言うと、この段階で光秀が信長討伐を意識していたかどうかは別として、わざわざそのようなことを連歌会で表明しないだろう。

 いずれにしても、津田氏の解釈は思い込みによる部分や無理をして数々の古典から解釈を導き出している点が多々あり、にわかに賛同することはできない。光秀の発句に織り込まれた語句を古典に求めるならば、同じ語句を用いたものはたくさんあり、いくらでもこじつけることが可能だからである。

 根本的なことを言えば、津田氏が支持する「朝廷黒幕説」は、すでに成り立たないことが明らかとなっている。むしろ、津田氏は「朝廷黒幕説」を成り立たせるため、『愛宕百韻』を主張したことにならないだろうか。
愛宕神社の石段=京都市右京区.
愛宕神社の石段=京都市右京区.
 また、『愛宕百韻』について、ユニークな解釈を示したのが、作家で歴史研究家の明智憲三郎氏である。明智氏の主張の一つには、光秀の出自とされる土岐氏の再興がある。長らく、光秀は土岐明智氏の流れを汲むといわれてきたが、それは繰り返しになるが立証が困難である。