強姦とライダイハン


 韓国軍がベトナム戦争時代に犯した罪は「民間人虐殺行為」以外にも「ライダイハン」の問題がある。ライダイハンとは、「ライ」がベトナム語で混血を表し、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称。現在、ベトナム戦争時代にできたライダイハンの数は、最小1500人(朝日新聞平成7年5月2日付)から最大3万人(釜山日報2004年9月18日)と推計されている(注②)。

 ライダイハンができた原因には「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として流入した韓国人労働者とベトナム人女性が結ばれてできたケースもあるが、韓国軍による強姦でできたケースも少なからずあった。

 ベトナム戦争時、ビンディン省トゥイフック県のフックタン地区にできた韓国軍施設でウエートレスをしていたヴォー・ティ・マイ・ディンさん(59)=同2009年9月時点。19歳のころに施設内の食堂で韓国兵に輪姦され、誰の子かわからないライダイハンである長男、ヴォー・スアン・ヴィンさん(39)=同=を身籠った(注③)。
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「あのころのことは、もう思い出したくありません」と語るヴォー・ティ・マイ・ディンさん (C)村山康文
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ライダイハンのヴォー・スアン・ヴィンさん (C)村山康文
 「軍施設で働き始めて3、4年が経っていたころです。ある日、人気のない食堂で後片づけをしているときに突然、数人の韓国兵に背後から襲われました。恐ろしくて声をあげることもできないでいると、次々と無理矢理に私の中に押し入ってきました。その時にできた子が、ヴィンです」と、マイ・ディンさんは当時の様子を息子の前で静かに語った。

 日本は昭和7年の第一次上海事変の際に派兵先での軍規を逸脱した強姦を防止する目的で、初めて公娼としての「慰安婦」を利用したとする説がある。「慰安婦」がいたから強姦事件がなくなったとは必ずしもいえないが、当時の陸軍参謀副長、岡村寧次大佐(終戦時は支那派遣軍総司令官)が「海軍にならい、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」と回顧録に記している(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」平成11年)。

 日本軍が衛生や待遇などの監督面で関与した「慰安婦」と、韓国軍のベトナム戦争での性暴力の違いについて、元韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉(ユン・ジョンオク)初代共同代表は、「女性・戦争・人権」八号(「女性・戦争・人権」学会編2007年)で次のように述べている。

 「日本軍『慰安婦』とベトナム戦の性暴力のもっとも大きな違いは二世の問題である。『慰安婦』は計画的かつ制度的に行った犯罪であるが、ベトナム戦における性暴力は、参戦軍人たちが戦争中に犯したものであるため二世が生まれるケースが多い」

 尹氏の「慰安婦」に関する評価はともかくとして、戦時の軍隊の女性に対する性行動において、日本軍の「慰安婦」に対するものと、韓国軍がベトナムで行った行為は、次元が異なっている。

韓国の未来への礎は…


 韓国軍のベトナム参戦から五十年の節目となった2014年9月25日、「大韓民国越南戦参戦者会第五十回記念式典」が、韓国・ソウル特別市松坡(ソンパ)区にある蚕室(チャムシル)室内体育館で開かれた。全国の退役軍人とその家族、政治家や韓国に嫁いだベトナム人女性、また、今回初となった在韓米軍関係者など約2万人(主催者推計)が参加した。
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越南戦参戦者会第50回記念式典。約2万人(主催者推計)が参加した (C)村山康文
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同式典には在韓米軍も初めて参列した (C)村山康文
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同式典には韓国に嫁いだベトナム人女性も。近年、同様の女性が増えている (C)村山康文
 式典では朴槿惠大統領が映像メッセージで「皆さんが若いころ、国に貢献してくださったおかげで、今日の韓国の平和と繁栄の礎を築いたのです」と退役軍人らを激励したものの、戦時中の日米両国からの支援に関してはもちろん、ベトナムの人々に対しての非人道的な行いに具体的に言及することはなかった。

 韓国兵に輪姦され、ライダイハンを産んだヴォー・ティ・マイ・ディンさんは「あのころのことは、もう思い出したくありません」と呟き、ソムソイ村で虐殺を逃れたファム・ディン・タオさんは「韓国兵がやったことは、毎年、家族の命日が近づくと涙が出て、体が熱くなります」と、怒りに震えながら話す。

 そして、タイヴィン村で一命を取り留めたグエン・タン・ランさんは「ベトナム政府の人たちは『これからのベトナムは韓国との外交が大切なので、過去を忘れる努力をしてくれ』と話します。でも、私の眼に焼き付いたあの惨劇を、どうしたら忘れられようものですか」と、苦しそうに言葉を絞り出す。

 この幾つもの「呟き」「震えながら」「絞り出す」言葉と、証言の時にこらえられずに溢れ出す涙を見ていると、韓国軍から残虐行為を受けたベトナムの誰しもが、あの日の惨劇を必死で忘れようと、日々、努力しているように感じてならない。

 韓国は、ベトナム戦争終結から30年後に、ようやく一部の民間人が虐殺やライダイハンに対する謝罪の意味合いから支援を始めた。2005年9月、韓国軍による虐殺があったフーイエン省ドンホア県ホアヒエップチュン社に「韓越友好病院」を設立。また近年、在越韓国企業がライダイハンの子供たちへの奨学金進呈など始めている。

 政府レベルでは、1998年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領(第15代)が、訪越した際に「不本意ながら、過去の一時期、ベトナム国民に苦痛を与えたことを遺憾に思う」と謝罪した。しかし、保守派のハンナラ党(現セヌリ党)副総裁だった朴槿惠氏は、金大中大統領の謝罪に対し「大統領の歴史認識に不安を抱く。軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」と強く非難した。
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同式典で流された朴槿惠大統領の映像メッセージは退役軍人らを激励するも、ベトナムでの非道行為には触れなかった (C)村山康文
 朴槿惠氏は自身が大統領に就任して7カ月後の2013年9月9日に初めて訪越し、ベトナムのチュオン・タン・サン第5代国家主席と会談する。訪越の目的は、あくまで韓国からベトナムに供与されるODAによる各分野でのパートナーシップを重視するだけのもので、韓国軍がベトナム戦争時に犯した過ちに関しての謝罪の言葉は一切なかった。

 それどころか2週間後の同24日に朴槿惠大統領は国連総会の一般討論で演説し、直接的にこそ日本や「慰安婦」の批判はしなかったものの、「戦時の女性に対する性暴力は時代や地域を問わず、明らかに人権や人道主義に反する行為だ」と、自国軍がベトナムでしたことを棚に上げ、遠回しに日本を批判した。

 韓国人の「名誉」や韓国の「国益」を重んじる朴大統領親子。ならば今、韓国政府がすべきことは、自らの「歴史の事実」に目を向け、新たな道を切り開くための努力なのではないのだろうか。


 注① 当時のビンディン省タイソン県ビンアン社は、14の村から構成。このうちタイヴィン村、タイビン村、タイアン村などの一部集落をまとめて「ゴザイ集落」と呼んでいた。

 注② 「ライダイハン」は、厳密には1992年にベトナムが韓国と国交を結ぶまでにできた子供の呼称で、92年以降にできた韓国人とベトナム人女性の間の子供は「新ライダイハン」と呼ばれる。ただ、近年は韓国人とのハーフ(他国も含む)の総称として「ライダイハン」が用いられることも多い。

 注③ ヴィンさんの戸籍証明(ID)上の年齢は36歳。ベトナムでは徴兵を逃れるため、年齢を偽ることが稀に行われた。貧困などの理由で出生証明書をのちに取得することもある。


むらやま・やすふみ 昭和43年兵庫県生まれ。平成10年に出会った報道写真家の石川文洋氏に触発されてベトナムに魅せられ、これまで40回近く渡越。米軍が散布した枯葉剤による被害者の支援運動にも参加。18年に当時18歳だった被害者とみられる一人を日本に招き、京大病院での手術を実現した。26(2014)年、ホアンサ(英名パラセル、中国名西沙)諸島に接近し、中国が設置強行した石油掘削の海上基地を撮影。ベトナムを中心にエイズ、戦争、人権、差別などカメラとペンで追いかけ、各地で写真展や講演を行っている。2007、09年にホーチミン市文化スポーツ観光局から表彰され、戦争証跡博物館(ホーチミン市)が2011年から写真4点を常設展示。ベトナム参戦の元兵士の聞き取りや社会問題など韓国でも取材している。著書に「いのちの絆 エイズ・ベトナム・少女チャン」(アットワークス)など。

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