2020年05月10日 11:32 公開

「ロックンロールの国王と女王」を自認し、エルヴィス・プレスリーやビートルズなど多数のアーティストに多大な影響を与えた先駆的な歌手、リトル・リチャードさんが9日、骨がんのため亡くなった。87歳だった。

遺族によると、リトル・リチャードさんは米テネシー州タラホーマで亡くなった。ベースギター担当だったチャールズ・グレンさんは芸能ニュースサイトTMZに、リトル・リチャードさんは2カ月前から病床にあり、家族に囲まれて自宅で息を引き取ったと話した。

リチャード・ウェイン・ぺ二マンとして1932年に生まれたリトル・リチャードさんは、その派手なパフォーマンスや衣装、かすれた声を自在に駆使したシャウト、強烈なビート感で1950年代の数々のヒットを飛ばし、全世界で計3000万枚以上のレコードを売り上げた。

「Good Golly Miss Molly」は1958年にチャート入り。そのほか、「Tutti Frutti」や「Long Tall Sally」が人気で、「Long Tall Sally」はエルヴィス・プレスリーやビートルズ、ブルース・スプリングスティーンなど大勢のアーティストがカバーした。「Tutti Frutti」も、クイーンやエルトン・ジョンさんなどがカバーした。

ビートルズをはじめ多くのアーティストが、リトル・リチャードさんに多大な影響を受けたと、ロックンロールの先駆者としてたたえていた。

1986年には「ロックンロール名誉の殿堂」入りした。

BBCのエンターテインメント担当、イアン・ヤング記者は、「リトル・リチャードがいなければ、ビートルズやボブ・ディラン、デイヴィッド・ボウイやジミー・ヘンドリックスなど、リトル・リチャードを崇拝していた数多のアーティストを作ったDNAの肝心の部分が欠けていたはずだ」と書いた。

「チャック・ベリーやエルヴィスと一緒になって、ブルースやR&Bやゴスペルが一緒くたになったアメリカ音楽の原始スープみたいなものを作り出した。あの混沌こそ、60年代のロックンロールの進化につながった」

「目立ちたかった」

1932年12月5日に米南部ジョージア州メイコンで生まれたリトル・リチャードさんは、12人きょうだいの1人で、歌を始めたのはきょうだいの中で目立ちたかったからだと、2008年にBBCに話していた。

「当時は一番の目立ちたがりやで、今でも一番の目立ちたがりやだ」

「ああいう真似をしたのは、目立ちたかったから。ピアノをがんがん叩いて叫んだり歌ったりすれば、注目された」

宣教師の父親と、敬けんなキリスト教バプテスト派信者の母親のもとで育ったリトル・リチャードさんは、ゴスペル音楽やニューオーリンズの影響を強く受け、ピアノを使った自分のパフォーマンスに取り込んだ。

公民権運動が本格化する前の、人種隔離政策が徹底されていた南部でも、その音楽は黒人だけでなく白人にも歓迎された。コンサート会場では、白人と黒人の座る場所をロープで仕切っていた時代だった。

1970年には米誌ローリング・ストーンに対して、「自分はスラムで生まれた。親父は密造ウイスキーを売っていた」と話した。宣教師の父親は、ナイトクラブの経営者でもあった。

当初は息子の音楽活動に反対した父親との不仲が原因で、10代には家を出た。

「親父は息子が7人欲しかったんだ。でも僕のせいでおじゃんだ。自分はゲイだったから」と、リトル・リチャードさんは後に語っている。

薬物と聖書

自分は同性愛者だと公表していた一方で、女性との恋愛関係もあった。同じ福音主義を信仰するアーネスティン・ハーヴィンさんと結婚し、後に男の子を養子に迎えた。

薬物使用や大量の飲酒で知られ、セックスパーティーには聖書を持参した。

1950年代後半には、豪シドニーのコンサート中に火の玉が空を横切るのを目の当たりにして、いったん音楽活動を中止。火の玉は実は大気圏に突入したソ連の人工衛星、スプートニック1号だったのだが、リトル・リチャードさんは「悔い改めよ」という神のしるしだと受け止めた。

米アラバマ州の学校で聖書を学び始めたが、他の生徒に性器を露出したと非難されて退学させられた。5年もしないうちにツアーを再開し、1961年にはゴスペル・アルバムを発表。ソウルミュージックも演奏するようになった。1970年には牧師の資格を得た。

セブンスデー・アドベンチスト教会に入信すると、自分が同性愛者だったのは一時的なことだったと表明。自分の性的指向について矛盾する発言や姿勢が繰り返されたため、ゲイ・アイコンとはみなされなかった。

自分がロックンロールに与えた多大な影響について、正当に評価されていないと不満を抱き、それは自分の最盛期にまだアメリカにはびこっていた強烈な人種差別のせいだと主張していた。

それでも自分の音楽が様々な分断を埋めるのに役立ったと喜び、「ロックンロールは色々な人種をひとつにまとめる」とインタビューで話したこともある。「自分は黒人だったけど、ファンは気にしなかった。それは嬉しかった」。

訃報が伝わると、元ビートルズのサー・リンゴ・スターは、「リトル・リチャードは自分にとってずっと、音楽の英雄だった」とツイートした。ナイル・ロジャースさんは「本物の巨人がいなくなった」と書き、ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンさんは、その音楽が「永遠に残る」とたたえた。

リトル・リチャードさんの前座を務めたこともあるローリング・ストーンズのサー・ミック・ジャガーは、「本当に悲しい」とツイート。「自分が10代になって間もない頃から一番影響を受けた人だし、50年代のミュージックシーンに初登場した当時と同じくらい、今も彼の音楽を聴くと、生々しい電流みたいな強烈なエネルギーがある」とツイートした。

「一緒にツアーしていた頃は毎晩、彼の動きをじっと見ていた。観客をどう楽しませて巻き込むのか、勉強させてもらっていた。それにいつも本当に親切にいろいろアドバイスしてくれた」

「ポピュラー音楽にものすごい貢献をしてくれた。寂しくなるよ、リチャード。神様が祝福してくれますように」

(英語記事 Little Richard: Rock 'n' roll pioneer dies