佐伯順子(女性文化史研究家、同志社大大学院教授)

 4月23日、ラジオの深夜番組内で、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史が、新型コロナウイルス感染拡大の終息後について「面白いことがあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども美人さんがお嬢(風俗の女性)やります」などと語り、批判が相次いだ。

 女性蔑視、女性への人権侵害として、出演番組からの降板を求める署名活動にも発展。発言者の岡村は同月30日に、同じラジオ番組内で反省の弁を述べた。だが、その謝罪内容についても、「失礼な発言であった」との形式的なもので、本当の謝罪になっていないとのさらなる批判を招いている。

 この問題は、発言者個人を批判して済むものではなく、日本の歴史的、社会的背景による根深い構造的問題を抱えている。単なる失言で終わらせるべき問題ではない。遊女や春画の研究を通じ、日本のセクシュアリティの研究をしてきた見地から、日本の性文化の過去の問題点を整理し、何を改善すべきなのか、再発防止には何が必要なのかを指摘したい。

 日本文化の歴史的背景として、性的な話題を「お笑い」と認識し、その場を和(なご)ませるツールとする現象が存在した。女性と男性の営みを生殖器もあらわに描く浮世絵の春画は、当時は「笑い絵」と呼ばれ、落語にも艶笑話が含まれる。日本の祭礼にも、性的な行為を演じて観客を笑わせたり、生殖器をご神体として担いで練り歩いたりして、見物人の笑いを誘うものが継承されている。

 日常生活では隠している下半身をさらけ出したり、恥ずかしい性的な話題をあえて共有したりすることで、お笑いというリラックス効果が生じ、さらに、そのお笑いを共有する人々がお互いの警戒心を解き、仲間意識を高める意味での一種のコミュニケーション手段として、日本社会における性表現は社会的に機能していた。

 ゆえに、現在でも酒席などでいわゆる猥談(わいだん)をして気心が知れるという習慣は、特に男性同士の社交文化において、おおっぴらに語られなくとも残存している。森鴎外の『ヴィタ・セクスアリス』に、先輩が後輩を色街に連れて行く「男社会」の習慣が描かれているように、男性同士のホモソーシャルな絆を確認するために、風俗業界が利用されるという社会現象が、日本社会には歴史的に存在したのである。

 この歴史から推測できることは、今回問題化した芸能人発言だけではなく、同じように思っている男性が実は日本社会には一定数存在するのではないかということである。仮に「あなたも同じように思っていますか」というアンケートをしたとしても、性的な話題について本音の回答を得られるかどうかはおぼつかない。
インタビューに答えるお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史=2016年10月、東京都世田谷区(川口良介撮影)
インタビューに答えるお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史=2016年10月、東京都世田谷区(川口良介撮影)
 だが、「ほんまはそう思てる男性いっぱいおるよね」という無言の後押しがなければ、メディア出演を仕事とする著名な芸人が、ラジオであのような無防備な発言はしないと思われる。私は彼個人よりも、彼の発言を潜在的に後押ししたと思われる「岡村予備軍」ともいうべき日本男性の心性的慣習を問題視したい。

 発言者の意識を推測してみると、性的な話題が「笑い」とみなされ、場を和ませる肯定的要素として受け止められた歴史があったため、お笑い芸人という本業から、新型コロナ感染拡大下の沈うつな社会を和ませるサービス精神が出てしまった、つい「笑い」をとりにいった、悪気はなく逆にウケると思っていたとも想像できる。