一般社会からは見渡せない部分のゲイのライフスタイルに言及すると、猛烈に攻撃してくる人たちがいる。筆者も以前、文芸評論家の小川榮太郎氏との対談(『月刊Hanada』2018年12月号)で「ゲイのセックス経験人数は平均でだいたい三ケタというのが私の実感」と指摘したところ、うそつき呼ばわりされた。もちろん当てはまらない人はいるだろう。

 だがこれは、ゲイの一生涯の累積として学術的にも妥当な数字だ。東大の三浦俊彦教授は最近の論説でゲイの性交渉人数は平均500人だとする米国の心理学者の推定を紹介。サンフランシスコでのパイオニア的調査ではゲイの75%が100人以上、27%が1千人以上で、レズビアンは大半が10人未満だったという。統計をとると男性は女性よりも性体験が豊富なことが分かっているが、この傾向は同性愛者であっても変わらない。

 ゲイは男性的性欲に従い、レズビアンは愛するパートナーとの安定した関係を持ちたがる。ゲイ男性同士は男女のカップルよりも性交合意のハードルが低いので数が増えるのは自然なのだ、と。そして三浦氏は、これは偏見でも差別でも暴言でもないと説く。「男の性欲は、貶(おとし)めたり隠したりすべきものではなく、コントロールすべきものです。生物学的デフォルトの性差を直視しない社会は、科学をないがしろにする社会」だと諭す。

 筆者は小川氏との対談で、このような刹那的な生き方にふたをするための同性婚の必要性を訴えたのだった。制度があることによって人は自らを律していく。結婚制度に同性愛者を組み入れることで、ゲイは「新しい生活様式」を見いだすことができるし、国家はさらなる安定性を担保することができる。コロナ危機の国難において、保守派にとっての重要な視座だと筆者は思う。同性婚に反対する年配の方々にも、ぜひ一考してもらいたい。

 なぜ、LGBT活動家はゲイの性愛を語ることを嫌うのか。そもそも「性的指向とエロスは関係ない」とのロジックは、性欲を忌むキリスト教圏で同性愛を正当化するために作られた方便だった。

 ところが、わが国のLGBT運動は、歴史的経緯の違う欧米理論をそのまま輸入してしまった。その結果、事情を知らない若い活動家は同性愛を高尚で美しい恋愛パートナーの話なのだと真に受けてしまったのだ。つまりネタがベタになったというわけだ。

 そうした彼らの純愛信仰は、裏を返せば内なるホモフォビア(同性愛嫌悪)の表出だといえる。性欲を忌避するLGBT活動家は、本当の社会的弱者の声をすくい上げることをしない。
※写真はイメージ(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージ(ゲッティイメージズ)
 首都圏のウリ専(ボーイが指定された場所に赴き有料で性的サービスをするゲイ風俗のことで、女性の利用者も少なからずいる)にはドメスティック・バイオレンス(DV)や貧困から逃げてきた若者も多い。地方から上京し、合宿所で暮らしている人もいる。彼らは食べていくためにコロナ禍であっても働かざるを得ないのだ。

 イタリアの哲学者であるジョルジョ・アガンベン氏は今から25年以上も前に「ホモ・サケル」という概念を提起した。ホモ・サケルとは「排除から排除されたもの」という意味だ。

 つまり、包摂か排除かを選別される人たちとは別に、あらかじめ選別の土俵から締め出された人たちがいるということ。華やかな面ばかりを伝えるLGBT報道はキラキラした強い光線を放つことでハレーションを引き起こし、真の課題を見えなくしている。ある事への敏感さが別の事への鈍感さに繋がってはならない。