LGBTは幼少期から他者との違いに怯えて暮らしてきた人が少なくない。たとえ実態としての被害はなかったとしても、本人にとっての疎外感は確かに存在するのだ。そう、犯罪心理学が研究する「治安」と「体感治安」の違いのように。蓄積された被害者意識はコップに注がれた水のごとく一定の表面張力を超えると溢れ出る。ただし、そのベクトルは自罰に向かう場合も他罰に向かう場合もある。

 本来のLGBT運動は「フェアな社会」を要求するものであるが、他罰感情から社会と敵対する当事者も生まれやすい。そこをどう乗り越えていけるか。これまでのLGBT運動が向き合ってこなかった部分だ。

 LGBT活動家はゲイの薬物乱用や過剰な性交人数について、背景には社会の無理解を原因とする自尊心の低さがあると弁明してきた。一昔前ならそうした分析にもリアリティを感じられたが、これだけネットによってゲイの多様な生活が可視化された現在では説得力に欠ける。むしろ、当事者の甘えを肯定するために機能してしまっている。

 ここ数年、LGBTが社会的に認知されるようになってきたことと比例して、世間の眼差しも変わりつつある。2017年に1907(明治40)年の法制定以来110年ぶりの刑法改正がなされ、強姦罪の名称が強制性交等罪に変わった。「口腔性交」や「肛門性交」も含まれることになり、男性間での性行為も対象となった。

 LGBT運動は自分たちを「一級市民」として認めてほしいと訴えてきたけれども、権利が向上すれば社会の成員としての義務も生じる。それは、これまで性的マイノリティゆえに「お目こぼし」されてきたゲイ・カルチャーが「法の外」として通用しなくなることを意味する。

 たとえば衆人環視の中で男女が偶然を装って性的な行為に及ぶハプニングバーは、しばしば「公然わいせつほう助」として摘発されているが、ほぼ同じ理由でハッテン場の経営者が捕まるケースも出てきている。

 ジェンダー・イクオリティの観点からいつかはこうなると分かっていたとはいえ、戸惑いを隠しきれないゲイは多い。現在風営法は異性間の性風俗店しか登録できないため、店側としてもルールの作りようがないのだ。

 あるハッテン場は店内にバーカウンターを設け、パンツだけははくようにと客に指示を出す努力はしているが、一歩奥に入れば大部屋での乱交は平常通り。あるクラブイベントは壁際でオーラルセックスをしている客をスタッフが注意して回っているものの、どこまでが合法なのか判断がつかない状態だ。国会による不作為が、関係者たちを法の狭間で困惑させている。 

 性的マイノリティを表明する国会議員がやるべきことはLGBT活動家と一緒になって聞こえのよいスローガンをお題目として叫ぶことではないはずだ。不人気になることを覚悟のうえで現行制度とどう折り合いをつけていくかを考えるべきである。なぜなら、社会のチューニング(微調整)こそが国政の役割だからだ。
2016年4月、参院選秋田選挙区で野党統一候補に決まり記者会見する松浦大悟氏=秋田市山王
2016年4月、参院選秋田選挙区で野党統一候補に決まり記者会見する松浦大悟氏=秋田市山王
 献血禁止規定の問題もその一つだろう。新型コロナウイルスによる外出自粛などの影響で血液不足が深刻化しているが、日本赤十字社のガイドラインでは過去6カ月以内に男性同士の性的接触があると献血できないことをご存じだろうか。ゲイやバイセクシュアル男性はHIV感染の高リスクグループだというのが理由だ。