西岡力(「救う会」会長、麗澤大客員教授)

 拉致被害者の横田めぐみさんの父で元家族会代表、滋さんが召天された。「逝去」ではなく、あえて「召天」という言葉を使う理由は、滋さんが天の国でめぐみさんたちが帰ってくることを見守っていることを信じるからだ。

 いつこのときが来てもおかしくないことを覚悟していたので、マスコミへの第一報の連絡、ご家族が静かに過ごせるための取材自粛のお願い、記者会見の設定などの準備を整えてはいた。

 しかし、このときを迎え、押し寄せる実務をこなしながら、心の片隅に風穴が開いてしまったかのような感覚にとらわれている。寂しさ、口惜しさ、申し訳なさ、怒りなどが混じった感情の下敷きになっている。

 滋さんに初めてお目にかかったのは1997年2月だった。ゆえに23年以上、お付き合いさせていただいたことになる。お付き合いというより、ともに戦ってきたということが実感だ。その思いを込めて私は、「救う会」のメールニュースを通じて次のようなコメントを発表した。

 痛恨の極みです。拉致被害者救出のため23年間、ともに戦ってきた者として、力が足りなかった、申し訳ないという思いで一杯です。横田滋さんが、平成9年に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが発覚した後、実名と写真を出して救出運動を行うという困難な決断をされたことで、拉致という大きな闇を明るみに出す契機になりました。
 しかし、5人とその家族は助け出せましたが、めぐみさんたち多数の被害者はいまだに彼の地に抑留されたままです。一目でもめぐみさんに会いたいという強い意志で2年以上の入院生活で最後の戦いをされ、力尽きて天国に旅立たれました。必ずめぐみさんたちを助け出します。どうか、天国でそのときをお待ちください。


 戦場で私のすぐ横で敵に向かっていた「戦友」が敵の弾丸にあたって倒れた、という感覚だ。同じ感覚を今年2月、有本恵子さんの母である嘉代子さんが召天されたときにも感じた。安倍晋三首相も同じ感覚を持っている。首相も「ともに戦ってきた」という表現を滋さんと嘉代子さんへのコメントで以下のように使った。

 本当に、残念です。横田滋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、早紀江さんはじめ、ご遺族の皆様に、心からお悔やみを申し上げたいと思います。滋さんとは本当に長い間、めぐみさんはじめ、拉致被害者の方々の帰国を実現するために、ともに戦ってまいりました。(2020年6月5日記者団に)


 有本さんご夫妻とは、まだ私が父の秘書を務めているときからお話をうかがい、長い間何とか恵子さんを取り戻そうと、ともに戦ってまいりました。嘉代子さんのご健康が優れないというお話をうかがっておりました。何とかお元気なうちに、恵子さんを取り戻すことができなかったことは、誠に痛恨の極みであります。(同年2月6日記者団に)


記者会見に臨む横田滋さん、早紀江さん夫妻ら=2002年10月
記者会見に臨む横田滋さん、早紀江さん夫妻ら=2002年10月
 戦いの中での滋さんの功績は多数ある。その第一は、97年2月、「横田めぐみ」という実名を出して日本国民に訴えるという決断をされたことだ。