それでも屈することなく、めぐみさんたちの救出を訴え続ける滋さん、早紀江さんの決死の努力が世論を動かし、2002年の日朝首脳会談では、拉致が主要議題となり、5人を助けることはできた。だが、めぐみさんをはじめとする多数の被害者は、死亡、あるいは拉致していない、という新たな虚偽通告を受けただけだった。

 その後、北朝鮮の通告のウソを、次々証拠を挙げて打ち破り、世界13カ国に拉致被害者がいることを明らかにし、拉致以外にもひどい人権侵害が北朝鮮の体制下で行われていることも暴露されていった。その先頭に常にいたのが滋さんだった。

 しかし、超過密スケジュールは滋さんの体をむしばんでいった。早紀江さんや2人の息子さん、そして私らが繰り返し、「少し休んでください」とお願いしたが、滋さんはそれを聞き入れてくださらなかった。

 そして、2016年頃から体調を崩し、対外活動がほとんどできなくなり、2年前に倒れて入院された。毎年2回、首相を迎えて開催してきた国民大集会では、最後の出席が15年9月だった。17年4月の国民大集会では不自由な体の中、次のようなめぐみさんへのビデオメッセージを寄せてくださった。

 めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で、必ず解放されると信じて、今めぐみが隣の部屋で、待っているようなと、同じような感じがします。もうすぐ会えるかもしれませんが、体だけは気を付けていてください。もうほんのわずかですから、がんばってください。


 その集会で司会をしていた私は次のような反省の言葉を司会者として述べた。その気持ちは今も変わっていない。

 私は少し反省をしています。われわれはこの間20年間運動をしてきましたが、家族の人を先頭に立てすぎたのではないだろうか。ある集会に行きますと、家族会の人に「がんばってください」という声がかかります。
 そうではないはずです。今、滋さんがおっしゃっていましたが、向こうにいる被害者に、「もう少しですよ、がんばってください」と言わなければならないんです。そして、助け出すのは家族ではなく、日本国政府、日本国国会、日本国の国民が一体になって助け出さなければならない。家族が助けようとしているのをわれわれが助けるのではない。
 しかし、横田滋さんは、どこに呼ばれても行く。もう手帳がまっ黒でした。今あれだけしかしゃべれないようになられたのは、歳相応の老いではない。自分の身をすり減らして、ここにも来られないような身体になられた。
 それでよかったのか。家族が身をすり減らさなければならないような運動をわれわれがしてきたとしたら、反省しなければならない。日本人が日本人を助ける。「家族の人たちは安心して待ってください」と言えるような運動をしなければならなかった。
 そして何よりも、家族がいない人たちも助けなければいけないのです。これから家族の訴えを聞いていただきますが、想像力を、その家族ではなく、向こうにいる人たち、被害者の人たちがこの瞬間どう思っているのかというところまで想像力を働かせて、「もうちょっとですよ」と先ほど滋さんが言った声を届けようではありませんか。


横田滋さんの葬儀が執り行われた教会内の祭壇=2020年6月8日、川崎市(横田拓也さん提供)
横田滋さんの葬儀が執り行われた教会内の祭壇=2020年6月8日、川崎市(横田拓也さん提供)

 滋さんは身をすり減らして世論に訴えるという戦いの先頭に立たれ、「戦死」された。だからこそ、残された私たちがこの戦いに勝利して、めぐみさんたち全被害者の即時一括帰国という絶対に譲れない課題を実現させなければならない、そう決意を固めている。