武田薫(スポーツライター)

 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が解除になり、完全停止状態だったスポーツ界も懸命に復旧を模索している。プロ野球が無観客ながら6月19日に開幕するが、気になるのは1年間延期となった東京オリンピックの行方だ。

 既に代表を決めた選手たちは、あの手この手で「3密」を避けながらGOサインを待つ。そんな中「ぼくたちは恵まれていますね」と話すのは、東京大会50キロ競歩代表の川野将虎(まさとら)だ。

 川野は東洋大陸上部所属の4年生。昨秋、いち早く50キロ競歩代表の座を手にし、同じ部に所属する同級生の池田向希(こうき)も今年3月に20キロ競歩の代表になった。

 バルセロナ、シドニー代表だった日本陸連の今村文男強化コーチも東洋大OBだ。東洋大は、ロンドンの西塔(さいとう)拓己、リオデジャネイロの松永大介に次いで、3大会連続で現役学生をオリンピック代表に送り込んだことになる。

 陸上部の酒井俊幸監督は箱根駅伝の指揮官として知られているが、実は大の「競歩ファン」でもあり、現役時代を振り返って次のように述べている。

 (私の現役当時は)特に指導者がいなくとも競歩は強かったですね。陸上部では、われわれの長距離と同じブロックだったので仲も良かった。歩行の腰の使い方に興味があったし、歩形のきれいな選手が好きでした。


 酒井監督はコニカミノルタでマラソンを走った後、一時は郷里の福島に戻って教員生活に入った。その後、母校・東洋大の指導者として迎えられたのが2009年の春である。

 それから2012年にかけて、「山の神」柏原竜二を起用して箱根ブームを作り上げる一方、酒井監督は競歩でも実績を積み重ねていた。だが、これは酒井監督だけの力ではなかった。それは監督の妻であり、陸上部コーチでもある瑞穂さんの存在だ。

 監督と同じ福島県出身である瑞穂コーチは、高校と大学で競歩選手として活躍した。「歩形」、すなわち歩く姿勢がきれいな選手として人気があり、酒井監督は大学時代から瑞穂コーチの写真を撮りまくっていたと言われる。

 ただ酒井監督は「いや、それは、ちょっとニュアンスが違うんです。当時はスマートフォンがなかったから、フォームの参考になればと思って撮っていただけです」と言う。それはそれで微笑ましいエピソードだ。

 瑞穂コーチは東洋大で、当初は競歩選手のアドバイザー、そして現在は競歩担当コーチとして夫唱婦随でオリンピック代表を育てた。
東洋大の(左から)酒井俊幸監督、酒井瑞穂コーチ(中央)から指示を受ける川野将虎(鈴木智紘撮影)
東洋大の(左から)酒井俊幸監督、酒井瑞穂コーチ(中央)から指示を受ける川野将虎(鈴木智紘撮影)
 競歩は競泳などと違って、特別な施設も用具もいらない。500メートルの平坦な道があればよく、練習は一人のみで密閉も密集も密接もない。冒頭で記した「恵まれている」という川野の言葉はそういうことだ。だが、実際には「人の目」を最も必要とするところに、競歩の奥深さと面白さがある。

 いまやマラソンを抜いて日本のお家芸とまで言われる競歩だが、二つの規則、すなわち「ベント・ニー(膝を曲げる)」「ロス・オブ・コンタクト(両足が地面から離れる)」があること以外、ほとんど知られていない。

 ただ、「彼らはなぜ走らないのか」という根底的な疑問は、恐らくマラソンの普及した日本ならではの疑問であろう。そして世の中に耳を傾けると「走った方が速い、速い方が偉い」と思っている人のなんと多いことか!

 なお競技種目が表舞台に登場したのは、1896年の第1回アテネオリンピックでマラソンが採用されたのが始まりだ。ただ当時は、走る距離が40キロであった。