もちろん、オリンピック以前にも競走自体はあった。だが、その競走概念は時間よりも距離に重きが置かれていた。「40キロをどれだけ速く走るか」ではなく、「12時間で何マイル、6日間でどれだけの距離を踏破できるか」に人々の興味が注がれた。これは「ペデストリアニズム(Pedestrianism)」と呼ばれた。

 そしてこのペデストリアニズムを一大ブームに巻き上げたのが、米国のボストンに住んでいたエドワード・ペイソン・ウエストンという男だ。米大統領選でエイブラハム・リンカーンが第16代大統領に選ばれた1860年、ウエストンは友人との賭けでリンカーンの落選を予想した。

 負けたら大統領就任式に合わせてワシントンまで歩くという、初めは冗談のはずだった。だがウエストンは、翌61年3月4日の就任式に向けて478マイル(769キロ)を歩き出した。雪と雨に打たれ、泥道をかき分けて、10日と10時間もの間、歩き続けた。

 彼は就任式には6時間届かなかったものの、晩餐会には招かれている。時代はマスメディアの夜明けで、新聞が連日ウエストンの動向を報じて国中の話題になっていた。まさに「歩くウエストン見たさに人が集まる」のだ。

 当時はバスケットボール誕生前のことで、室内競技場はまだ存在せず、当時流行していたローラースケート場でペデストリアニズムの興行が行われるようになった。

 現在はボクシングの世界戦や米プロバスケットボール(NBA)の試合で使われるマディソンスクエアガーデンでも、頻繁に6日間ぶっ通しのぺデストリアニズム興行が催された。

 「歩くだけ」という、今思えば何が面白かったのか分からない。だが、これが押すな押すなの大盛況で、ぺデストリアニズムが近代スポーツの最初の観戦競技だったのである。何せ、歩こうが走ろうが自由なのだ。

 そしてロス・オブ・コンタクトが採用され、初めて現在の競歩の形をとったと言われているのが、1875年11月15日の真夜中にスタートしたシカゴ博覧会場でのレースだ。その500マイルレースでウエストンは若いダン・オレアリーの挑戦を受け、敗れている。

 オレアリーに負けたウエストンは、今度は舞台を英ロンドンに移す。そして現在のロンドン地下鉄エンジェル駅近くの旧農業センターで興行するなど、ペデストリアニズムのブームは大西洋を越え、世界的になっていく。

 競歩の人気は、産業革命前夜の活気に先駆けた熱気であり、その特色は都市にあり、観衆の目にあり、そして人の持つ耐久力の追求にあった。この不思議なエンターテインメントは、やがてベースボールの娯楽性やマラソンが提起した時間の概念に押し流されていく。だが、機械の前に人間の力があり、競争にはルールがあるという共通認識が、今なお世界で競歩が行われ続ける理由であろう。

 ただ、競歩については、「ロス・オブ・コンタクトは無意味」とか「どの選手の足も浮いている」という指摘がよくある。それでも、競歩は多くの競技が採用するビデオ判定を導入せずに、全て審判の目視に委ねている。走らないという「約束」が、この競技の命綱だからだ。機械ではなく「自分自身で約束を守る」ことが、彼らウォークマン(歩き人)たちの使命なのだ。
世界陸上男子20キロ競歩、給水ポイントで帽子を受け取る池田向希(右)=2019年10月、ドーハ(共同)
世界陸上男子20キロ競歩、
給水ポイントで帽子を受け取る池田向希(右)
=2019年10月、ドーハ(共同)
 東京大会の延期で、アスリートたちは不安な日々を過ごしている。東洋大も6月20日まで合宿所が閉鎖され、インターネットやLINEを駆使してチームを維持している。ちなみに池田は6位に入った昨年の世界陸上で、最も歩形のきれいな選手と言われた。

 瑞穂コーチは、池田も川野も気持ちをうまく切り替えていると述べた上で「監督は、競歩は自立と自律だと言います。池田君もコロナに周りを見るチャンスをもらったと、新しいトレーニングに取り組んできました」と話す。

 沿道の目、内なる目に己の歩形をさらしながら、求められる「約束」を守り切る。何というロマンチストたちであろう。オリンピックの開幕を祈らずにはいられない。