小倉正男(経済ジャーナリスト)

 今考えれば、1992年前後が世界経済の大きな分岐点だったかもしれない。日本経済でいえば87年に勃発した不動産バブルが崩壊現象を見せたのがまさしく91年後半~92年である。日本はピークを打ってバブルの終焉が始まっていた。日本にとってその衝撃は決して小さいものではなかった。

 だが、まさしくそのときに世界では巨大な変革が起こっていた。91年末にソ連が崩壊。中国は92年に社会主義市場経済への転換を行った。全世界が資本主義に移行するというビッグバンが勃発した。

 この92年に米国を中心に今のグローバリズムによる世界経済の形成が動き出した。いわば世界経済の「パラダイムチェンジ」が行われた。そのもたらされたものを大局で見れば、グローバリズムの勝者は米国、そして中国であり、敗者は日本にほかならなかった。

 92年以前の日本はグロ-バリズムとは対極にある「ニッポン株式会社」という垂直統合型経済で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に登りつめていた。系列、グループ、下請けといった閉鎖的なシステムで成功した。

 しかし、92年をターニングポイントに世界はグローバルな水平分業型経済に移行し、「ニッポン株式会社」は徐々に解体されていった。「世界の工場」は中国に移り、日本は電子部品、関連部材、半導体・液晶製造装置、半導体関連検査機器、工作機械などで中国のサプライチェーン(部品の調達・供給網)に組み込まれる形で生き残った。  

 日本の製造業が中国に本格的に進出を開始したのは2002年である。トヨタ自動車などトヨタグループ各社が中国に進出した。世界最大クラスの自動車企業が中国に進出し、これに伴って関連部品企業がこぞって中国に製造拠点を設けた。

 これ以前はスーパーなど流通業、繊維、ビール、電気機器などの各産業が中国に進出していた。トヨタグループの進出を一つの契機として日本製造業が雪崩を打って中国進出を行った。日本の「空洞化」は決定的なものになった。

 2000年代前半、中国で乗り物といえば自転車が圧倒的に主流だった。だが、巨大なマーケットが徐々に顕在化する兆しを見せていた。いち早く中国に進出していたフォルクスワーゲンが成功を見せてシェアを固めた。貧富の格差が生まれ、クルマを持つ富裕層はすでに現れていた。トヨタ自動車として進出をこれ以上は遅らせることはできなかった。
中国天津市のトヨタ自動車工場=2002年10月
中国天津市のトヨタ自動車工場=2002年10月
 中国はソ連崩壊後に社会主義市場経済を標榜し、国外から資本を呼び込む「改革開放」を行った。当初は日本企業の多くは懐疑的だった。だが、あっという間に「世界の工場」に飛躍を遂げる中国のサプライチェーンに組み込まれていった。