他方、伊豆半島より西ではフィリピン海プレートはユーラシアプレートの下に沈み込んでいるが、それは四国の西側で終わるのではなく豊後水道、日向灘から琉球諸島を経て、台湾、フィリピン、インドネシアへ続くのである。フィリピン海プレートの動きが原因となる地震という点では、首都圏、南海トラフ地震、琉球トラフ地震などを区別する必要はない。

 さて、19年10月12日、関東地方やその周辺の人々が「令和元年東日本台風(台風19号)」に目を奪われているとき、千葉県南東沖、深さ80キロを震源とするマグニチュード(M)5・7の地震が発生した。

 この地震は、相模トラフから沈み込んだフィリピン海プレートの地震であった。その後、千葉県や茨城県で発生した地震を検討すると、茨城県北部と同県南部以南とでは異なったメカニズムで発生した地震であることが明確になってきた。

 すなわち、茨城県北部では北米プレート内部で起きている地震と太平洋プレートとの境界付近で起きている2種類の地震が発生していた。これに対し、茨城県南部以南では北米プレートとフィリピン海プレートの境界付近に震源があったのである。

 ところで、5月20~22日、東京湾を震源とするM2・6~3・5の地震が7回続いた。震源の深さは20~40キロであり、北米プレートとフィリピン海プレートとの境界付近が震源であった。東京湾では、北米プレートの表面近くを震源とする地震はまれに発生することがあるが、震源が深い地震が連続して発生したことはほとんどない。

 また、あくまでも経験則であるが、M6・5程度以上の地震が発生する前に次のような傾向がみられている。

①それまで地震があまり発生していない場所で、中規模、小規模の地震が数回以上続く(前震)
②約2カ月程度の静穏な時期(静穏期)
③同じ場所で中規模・小規模の地震が発生(直前震)
④半日~3日後でM6・5以上の地震が発生(本震)


 1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)、2004年の新潟県中越地震、11年の東日本大震災、16年の熊本地震、鳥取県中部地震などがこの経験則に当てはまった。18年の大阪北部地震はM6・1と規模が小さかったためか、この経験則はあてはまらなかった。

 このような状況の中で発生したのが三浦半島の異臭騒ぎだ。三浦半島は房総半島南部と同様に、西北西-東北東方向に延びる活断層が多く知られているところだ。また、この方向は海底の相模トラフともほぼ一致している。
神奈川県南東部の三浦半島(ゲッティイメージズ)
神奈川県南東部の三浦半島(ゲッティイメージズ)
 1923(大正12)年に発生した大正関東地震(関東大震災)は、相模トラフで北米プレートが跳ね上がった海溝型地震であった可能性が高い。通常、大正関東地震は東京の下町の地震というイメージが強いが、地震の揺れがひどかったのは横浜周辺や房総半島南部であった。

 地震の発生が昼食直前であったために非常に大規模な火災が発生し、地震後3日間燃え続けて多くの被害者が出たのである。また当時、カメラは極めて貴重品であり、首都圏の記録が多く残されたり、田山花袋の『東京震災記』などが著されたりしたため、東京下町の地震というイメージが定着してしまった。