重村智計(東京通信大教授)

 北朝鮮の金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党第1副部長が西部の開城(ケソン)にある南北共同連絡事務所の建物を爆破し、世界に衝撃を与えた。その3日前の談話で予告した通り、撤去を実行したのである。ところが、その後は一転して沈黙を守っているが、それはなぜか。

 両国の首都、平壌(ピョンヤン)とソウルのやり取りの背後には、北朝鮮の送金要求と、与正氏の兄、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の後継者問題が隠されている。平壌の政治状況は相当に不安定なことがうかがえる。

 与正氏は所属機関が公表されておらず、公式にも党の「第1副部長」と発表されているだけだ。その権限は対南担当の責任者といわれている。

 だから、韓国に金委員長を中傷するビラ散布中止を要求し、「南北合意を実行しない」と文在寅(ムン・ジェイン)大統領を非難した。さらに、文大統領からの特使派遣提案も拒否した。

 ただ、与正氏は韓国との軍事境界線沿いの非武装地帯(DMZ)に朝鮮人民軍の部隊を派遣すると明言している。実は、この発言には彼女の権限を超える微妙な問題が隠されており、平壌指導層の反発を招く可能性がある。

 また、後継者を意味する「党中央」の言葉を、党機関紙の労働新聞が6月中旬まで3回も報じた。この報道からも平壌での異例の事態を示唆している。

 与正氏は声明で金委員長の中傷ビラの配布中止を求めたとされるが、それは口実でしかない。本当なら、そもそも北は「ビラで揺らぐ危ない体制」だ。

 急きょ訪米した韓国外務省の李度勲(イ・ドフン)朝鮮半島平和交渉本部長は、北朝鮮担当特別代表を兼務するビーガン国務副長官と会談し、北朝鮮制裁の緩和を求めた。具体的には開城工業団地の再開、北朝鮮に向けた韓国の送金緩和、食料や医療などの人道支援緩和の3点だ。これが南北対立のポイントである。
北朝鮮による南北共同連絡事務所爆破を1面トップで報じた韓国各紙=2020年6月17日、ソウル(共同)
北朝鮮による南北共同連絡事務所爆破を1面トップで報じた韓国各紙=2020年6月17日、ソウル(共同)
 与正氏は、文大統領が南北合意を実行せず、「北朝鮮の指導者を騙した」と怒っている。具体的には、「約束した資金を送金せよ」と求めている。これまでの南北首脳会談では必ず「面会料」が支払われてきたからだ。

 2000年6月に金正日(キム・ジョンイル)総書記と平壌で会談した金大中(キム・デジュン)元大統領は、自身が認めただけで5億ドル(約530億円)を北に送金している。この巨額の現金は現代(ヒョンデ)グループが負担した。