2020年07月13日 16:09 公開

グレス・ツォイ、BBCニュース(香港)

中国政府が香港に厳格な国家安全維持法(国安法)を制定して以来、抗議活動に熱心な香港市民の間では脱出方法がしきりに話題になっている。イギリス政府はすでに、イギリス海外市民(BNO)パスポートの保有資格を持つ300万人に永住権や市民権への道を開くと発表した。では、対象となった人たちは本当に香港を離れるのか。そして残された人たちはどうなるのか(一部の名前は仮名)。

マイケルさんとセリーナさんは、香港を永久に離れてイギリスに移住すると決めた。2人は一度もイギリスに足を踏み入れたことがない。

2人はBNOパスポートを保持している。BNOパスポートは1997年の香港返還以前に生まれた香港市民に与えられたものだ。

BNOパスポートは本来、イギリス領事館の一定の支援が受けられる権利付きの渡航許可証だ。従来は、香港からイギリスに行きやすくなる、欧州旅行が楽になるという程度のもので、それ以上に特に便利というわけではなかった。

それでもBNOパスポートを取得する人たちはいた。別に取っておいても損はないと、そう考える香港市民が多かったからだ。

マイケルさんとセリーナさんは香港ではごく普通の、楽に暮らせるだけの経済力を持つカップルだ。共に金融機関の中間管理職で、13歳の娘と頻繁に旅をし、何年も前にマンションを購入している。それだけのものを手放すのは、楽なことではない。

香港では昨年、犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改定案を引き金に、抗議活動が何カ月も続いた

マイケルさんとセリーナさんは、この抗議デモへの対応で、香港は香港ではなくなってしまったと話す。2人が見たのは市民の声を聞かない政府と、歯止めの利かない警察権力だった。

2人は中国系の銀行で働いており、抗議活動への参加は解雇につながる。そのため一連のデモには参加しなかったものの、2人の娘は抗議活動に大いに影響を受けたという。

「娘はとても怒り、混乱した。私たちに、どうして政府が私たちをあんな風に扱うのかと聞き続けた」とセリーナさんは語った。そして、海外に留学したいと言うようになった。

6月30日に施行された国安法によって、我慢の限界が来た。

マイケルさんは「国安法の内容はひどいものだ」と話す。セリーナさんは、この法律が「ごくわずかな人」だけを対象にしたものだという中国政府の主張は、まったく信じられないと言う。

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イギリス政府の新しい計画では、BNOパスポート保持者とその扶養家族は今後、イギリスに5年間滞在できる。就業・就学も可能となる。5年の時点で永住権の申請ができるようになり、さらにもう1年滞在することで、市民権を得る資格が与えられるという

イギリス政府は、国安法は1985年の英中共同声明で約束された香港の高度な自治を侵害し、市民の自由を脅かしていると批判している。

マイケルさんとセリーナさんは当初、娘を海外の学校へ通わせることだけを考えていた。しかし今は、家族でイギリスに移り住むことが一番の選択肢となった。

2人は昨年11月、何かに使えるかもしれないと思って、長らく失効していたBNOパスポートを更新している。先行きの見えない未来への対抗手段だ。

「イギリスはBNOパスポート保持者への市民権提供を、最後の手段と考えていると思っていた。そうすぐには実現しないと思っていたが、突然、大きな変化が訪れた」とマイケルさんは言う。

中国政府が国安法を成立させる方針を発表して以降、マイケルさんとセリーナさんのような話はそこかしこで聞かれるようになった。

BNOパスポートを持っていない人たち

香港には現在、BNOパスポートの保有者が35万人いる。イギリス政府は、保有資格者を含めると全体の数は290万人に上るとしている。

一方、1997年の香港返還以降に生まれた市民はBNOパスポートを持つ資格はない。さらに、返還前に申請をしなかった人も、現在は申請できないという。

ヘレンさんは返還前の1997年に生まれたが、赤ちゃんだったため、両親は彼女のBNOパスポートを申請しなかった。

「イギリスに行きたいかどうかは分からない。でもこれは私の権利だ。イギリスと香港なら香港の方が好きだけど、BNOパスポートを持っているべきだった」とヘレンさんは話す。なぜ自分の分を申請してくれなかったのかと、両親を少し責めたことも認めた。

現時点でイギリスからの提案に応じる香港市民が、果たしてどれほどいるのか推測するのは難しい。しかし、関心は高まっている。特にイギリス政府が方針を発表した7月1日以降、急激に高まっている。ドミニク・ラーブ英外相は下院で、「イギリスは香港から目を背けないし、その住民への歴史的な責任から逃げだりしない」と話した。

イギリスの移民相談事務所で働くベン・ユーさんは、「香港在住の同僚は、毎日フェイスブックで30~40件の相談を受けている。彼のワッツアップにも、BNOパスポートやその他のビザ(査証)でイギリスに移住できないかという相談が何百件も来ている。(国安法の施行以来、)メッセージは24時間来続けている」と話した。

BNOパスポートの更新件数も、香港の政治的な混乱を受けて増加している。2018年に有効だったBNOパスポートは17万件だったが、2019年には31万件以上に跳ね上がった。

植民地時代の香港は常に、期限付きの租借地だと認識されていた。香港から大勢が海外へ移住するのは、決して初めてではない。1984~1997年の間には、毎年2万~6万6000人が香港を離れていた。

一方で、今回の香港脱出はこれまでのものとは違って見える。

香港科技大学で政治学を教える成名教授は、「以前の移住者は、外国のパスポートを取得していったん安全な逃げ場を確保した後、思っていた政治的悪夢が実現しないと分かれば、香港に戻ってきた。1997年以前でも以降でも」と説明する。

「しかし今回の海外移住の波では、もし実際に起きたとして、片道切符しか持たない人が前より増えるはずだ」

「国の最上部から押し付けられた国安法は、それ自体が過酷なだけでなく、中国政府による約束違反だと大勢が感じている。英中共同声明や香港特別行政区基本法で保護された香港の自由を守らない法律だという問題だけでなく、中国はそもそも約束を守るつもりがない、その姿勢があらわになったと」

成教授はさらに、抗議活動に参加していた若い世代が、ますます香港を離れるだろうと語った。

次は何が起こる?

香港の全人口750万人のうち、外国人も含めると約80万人がイギリス、オーストラリア、カナダ、アメリカのパスポートを保持している。

中国政府は、イギリスが香港のBNOパスポート保持者に市民権を与える計画に怒りを表明している。劉暁明駐英大使は6日、イギリスの提案は中国への「重大な干渉」に相当すると述べた。

また、「主権と安全保障、開発利益を保護しようとする中国の固い決意を過小評価するべきではない」と語っている。

在英中国大使館は声明の中で、「香港在住の中国系の同胞は全員、中国国民だ」と述べている。

ラーブ外相は民放ITVに出演した際、中国政府が香港市民にイギリスへの渡航を認めなかった場合、イギリスにできることはほとんどないと話した。

香港大学の楊艾文法学教授は、「中国政府がどういう対応を検討しているのかは予測しづらい。おそらく外交的な報復措置だろう。形は違っても、不均等なものにはならないはずだ」と指摘した。

人権擁護団体「香港ウオッチ」のベネディクト・ロジャーズ共同創始者は、BNOパスポートの提案は「寛大かつ勇気あるもので、歓迎している」と話した。

しかし、この救済措置は最後の手段であるべきだとも指摘する。

「香港市民が保障された自由の中でこれまで通りの生活を継続し、故郷から逃げ出す必要がないよう、条件整備に取り組むべきだ。しかし一部の人にとってはすでに手遅れで、その人たちは避難場所が必要になる。これが現実だ」

マイケルさんとセリーナさんはイギリスでの新生活に向けて、準備を進めている。しかし、もうすぐ18歳になる息子を説得することはできなかった。家族が香港を離れた後、息子は祖父母と暮らすことになるという。

「香港を離れたくない、香港は自分の一部だと息子は言うのです」とセリーナさんは語った。

(英語記事 The Hong Kong residents ready to leave for the UK