中央線の三鷹駅と立川駅寄りの隣駅、武蔵境駅との間を通過した利用者数は1日平均73万4488人だ。一方で、国鉄時代に完成した常磐線の複々線区間の起点となる綾瀬駅とその隣の亀有駅との間を通過した利用者数は1日平均69万1876人と、三鷹-武蔵境間よりも少ない。今も国鉄が存在していれば、三鷹-立川間は間違いなく複々線化されたであろう。しかし、JR東日本は巨額の投資を行ってまで、赤字の通勤定期利用者の便宜を図る必要はないと考えているのだ。

 国鉄が昭和40年代に実施した中央線の中野-三鷹間9・4キロの複々線化に要した費用は264億円で、1キロ当たり28億円であった。28億円は現在の金額に換算して94億円であり、ここから三鷹-立川間の複々線化費用を試算すると1260億円となる。

 これだけの費用を投じても、便益を享受できる利用者の多くは定期乗車券の利用者だ。現実に、先ほど挙げた三鷹-武蔵境間を通過する1日平均73万4488人の利用者のうち、定期利用者は50万5775人で、68・9%に達する。認めたくはないが、JR東日本が投資を見合わせるのも無理もない。

 時間帯別運賃の導入を検討しているという深澤社長の会見は、いわばJR東日本の長年の悲願を形にしたものといえる。利用者が18・9キロ乗車したときに90・7円の営業損失が発生する通勤定期の運賃を、仮に20円の営業利益を生み出せるように改定するとしよう。となると、18・9キロ乗車した際には現行の136・1円から246・8円へと110・7円の値上げが必要となる。

 1回乗車して246・8円、そして1日に1往復、1カ月に22日使ったとして通勤定期の運賃を設定すると1万859円だ。普通運賃の1万3640円(ICカード乗車券は1万3552円)から割引率を求めると、20・4%(同19・9%)となって、これでやっと東京メトロ並みとなった。

 実際にJR東日本が時間帯別運賃を導入して通勤ラッシュ時の運賃を値上げするには「障壁」が待ち構える。というのも、現状では同社を含めたJR旅客会社6社の運賃、それから新幹線の特急料金は「ヤードスティック方式」という基準比較方式が採用されているからだ。

 ヤードスティック方式とは簡潔に言うと、他のJR旅客会社5社と営業費用の一部を比べ、運賃を上げられる限度は適正な利潤が得られる範囲以内というものである。一時的には減ったり失われるかもしれないものの、今後も1千億円単位の営業利益が見込まれるだけに、JR東日本による運賃改定の申請を国土交通大臣が認めるとは考えづらい。

JR品川駅周辺で、マスク姿で職場に向かう人たち=2020年5月(宮崎瑞穂撮影)
JR品川駅周辺で、マスク姿で
職場に向かう人たち=2020年5月(宮崎瑞穂撮影) 
 そこで考えられるのは、深澤社長が言及したように混雑のピークを減らすために閑散時には逆に運賃を下げる方策だ。こうなれば、営業利益の最大化は断念せざるを得ないが、代わりにどの時間帯でも営業利益率が平準化されるというメリットが生じる。いわば、受益者負担の原則が導入されるのだ。

 この考え方を突き詰めていくと、JR東日本は今後、地域別に運賃を設定するかもしれない。利用者の少ない地方の路線では運賃を大幅に上げ、代わりに大都市圏では下げるという主旨で、大都市圏での営業利益が地方での営業損失を補てんするという国鉄の分割民営化時の考え方はここに崩れる。高額な運賃を負担できないとなれば、地方の路線の廃止が進みそうだ。

 時間帯別運賃の導入とは、いわば長年手つかずのままでいた鉄道事業の「パンドラの箱」を開ける作業だといえる。