「民族とは何か」というそもそもの問題


香山 経緯はわかりましたが、これはそもそも、「民族とはなにか」という話になっていくと思うんです。

小林 うん、そうだね。

香山 小林さんは民族というものを、ご著書に描かれているような、髭をたくわえて昔ながらの真正さとでも言うのかな、昔から変わらぬ姿でずっと暮らしている、すごく確立された共同体で、言葉もアイヌ語だけというようなものだけを民族と定義されていると思うのですが。

小林 わしはそもそも民族主義というものが嫌いなのね。それを言い始めたら「わしは熊襲じゃない?」とか「いや、隼人じゃない?」「朝鮮系かもしれない」とかキリがない。でもそれは今、全部和人に包摂されているわけでしょ? 何で括るかといったら「国民」しかないのよ。それなのに「自分は和人ではない、アイヌ民族だ」と言うからには、何をもってそう言うのか? もはや姿も違う、風習も違う、アイヌ語もしゃべれないのに。

香山 佐藤知己氏の論文「アイヌ語の現状と復興」には、「アイヌ語話者の正確な人数を知ることは極めて困難である」とあります。なぜ出てこないかというと、差別されるから隠している方が多いんです。

小林 あなた、アイヌ語をしゃべれる人に会ったことあるの?

香山 ありますよ。

小林 アイヌ語でしゃべってたの?

香山 日常会話はアイヌ語ではしないですよ。でもバイリンガルというか、アイヌ語も話せるという人です。秘伝じゃないですけど、ずっとアイヌ語を大事にしてきたという方はいますよ。

小林 「います」って、それをちゃんと証明してもらわなきゃ困るわけよ。じゃあ、知里真志保って人知ってる?

香山 もちろん知ってますよ。

小林 天才的な言語学者ですよ、アイヌ系のね。彼が1930年代にすでに「アイヌはいない」と言ってるよね。

香山 「いない」ではなく「アイヌ系日本人」ですが、知里真志保がどういう文脈でそれを発したかを考えていただきたいんです。私は知里真志保さんの他の文章や、古いNHKの番組でそうした発言をされている映像を見せてもらったことがあるんです。

 当時アイヌは非常に差別されていました。アイヌの生活や文化を向上させたい、アイヌだから劣等だということを否定したい――そういう趣旨だったと思います。

 歌人の違星北斗もまさにそうで、書簡などを研究している人によると、「アイヌだから」とけなされたりすることに対抗して「同化しかない」「アイヌはいない」などと言っている。いわば地位向上のためのニュアンスであって、単純に「アイヌなんてもういないんですよ」という感じとはずいぶん違うと思うのですが。

小林 いや、それは違うんじゃない? 知里真志保が『アイヌ民譚集』の中で書いた文章を読むと、全くそのようには書かれてないよ。

 「生活の凡ゆる部門に亘つて、『コタンの生活』は完全に滅びたと云つてよい。四十歳以下の男女は勿論のこと、五十歳以上の男子と雖も、詩曲・聖伝の如き古文辞を伝へ得る者は殆ど無い。纔かに残つてゐる数人の老媼たちですら、今では全く日本化してしまつて、其の或者は七十歳を過ぎて十呂盤を弾き、帳面を附け、或者はモダン婆の綽名で呼ばれる程にモダン化し、或婆さんは英語すらも読み書くほどの物凄さである」

 こう書いてあるのね。あなたね、歴史のことを考える時には第一次史料、第二次史料、第三次史料っていう形で、ちゃんと紐解かなきゃいけないの。

香山 もちろんそうですよ。

小林 あなたが言ってるのは一次史料でもない、二次史料でもない。単なる噂話を言ってるだけ。

香山 私だって元の史料を読みましたよ。当たり前じゃないですか。 私が言いたいのはその背景に、差別に対して、あるいは自分たちの生活水準が低いことに対するひとつのレジスタンスがあるのではないかということです。

小林 勝手に解釈したわけね。

香山 勝手にじゃないですよ。知里は、「過去のアイヌ」は本来のアイヌ文化を背負っていたのに、「現在のアイヌ」には「侮蔑と屈辱」がつきまとっている、と言い、差別に警告を発しています。 民族かどうかの認定を何によって行うか

小林 差別は実際、ずっとあったんだよ。けれども民族の話は別でしょ。クオーターからさらに何分の一、何分の一ってなっていったときに、民族って成立する?

香山 民族の学術的な考え方は、そういうふうに血が何割入っているというような考え方をすると複雑になるし危険なので、客観的な判定と、本人の帰属意識という主観的な判定と、双方を見るということです。

小林 自分がアイヌと言ったらアイヌなら、わしもアイヌということになってしまう。

香山 それは違います。極端な政治学者なんかは、主観的な帰属意識だけでよいと言っている人もいます。しかしそれではあまりにも曖昧なので、客観性と主観性両方で判定するんです。

小林 じゃあ客観性って何なの?

香山 アイヌ協会に自己申告して認められるのもそのひとつですよね。

小林 何だそれ! アイヌ協会がポンと判を押して「アイヌだ」と言ったらアイヌなの?

香山 違います。最後まで聞いてくださいよ。アイヌ協会の定款によると、本人の入会申込書をもとに理事会での決議で決まります。戸籍を含めての審査と聞いています。主観性と客観性ですね。この両方で判定します。

小林 戸籍が客観性なのね?

香山 それしかないですからね、今のところ。昔は、彼らのネットワークがありますので、そういう噂なんかも判断材料にしたこともあったようです。「あの人は違うよ」とか「あの人は確かにこの集落にいた」とかですね。それも参考にしつつ、ということです。「誰もあの人知らないよ」というような場合は認めない。

小林 戸籍が客観性だというのはきわめておかしいですよ。戸籍を遡っていくとなったら、わしだって隼人かもしれない。

香山 ご存知のようにアイヌの場合は「旧土人」と戸籍に記されていたわけです。

小林 じゃあ客観性というのは戸籍であったり、「あの人あの辺に住んでいたよ」とか、「あの人アイヌ系だよ」といった噂とか、その程度っていうわけだな。あと自分がアイヌだと言えばアイヌになると。

香山 アイヌ協会の会員になるということです。アイヌ協会の会員になるということとアイヌであることは必ずしもイコールではないと思いますよ。協会員じゃなくても自分はアイヌ民族だと思ってる人もいると思います。

小林 うん、協会員じゃなくてもアイヌ系だと思ってる人はいるよ。

香山 それはアイヌ民族ではないんですか?

小林 民族じゃないね。砂澤陣っていうわしの知り合いがいる。砂澤ビッキというアイヌの美術家の息子なんだけど、彼は自分のことをアイヌ民族だとは言わない。

対決対談!「アイヌ論争」と
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香山 でもそれはアイヌの人たちの総意ではないですよね? アイヌ民族だというアイデンティティを持っている人に、私は会ったことがありますよ。「言えない」とか「これは誰にも言ってない」という方もいます。

小林 なんでそこで、血が100分の1になろうと自分はアイヌ民族だと言い張るの?

香山 それはアイデンティティなんだから、こちらが決めることではないんじゃないですか?

小林 自分が決めればいいというだけの話?

香山 主観的な帰属意識を大事にしようというのが、民族というものに対する今の世界的な定義ですね。

小林 そんな主観的な話で日本は多民族国家だとか言ったって、どうにもならないよね?

 もう同化していてアイヌの血が100分の1になっていても、まだアイヌ民族だというアイデンティティを維持したいと思う人間の心理って何なんだろう。そこが問題だよ。
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