井上和彦(ジャーナリスト)

 先の大戦の制空権を米軍に奪われ、もはや敗色濃厚となった昭和19年12月、日本海軍は起死回生の策として、各地で戦う腕利きのエースパイロットをかき集めた精鋭部隊の創設に踏み切った。こうして愛媛県の松山基地に誕生したのが第343航空隊、通称「剣(つるぎ)部隊」だった。

 真珠湾攻撃時の航空参謀だった源田実大佐が司令を務め、飛行長には、真珠湾・ミッドウェー海戦を経験してきた歴戦の勇士・志賀淑雄少佐が就いた。そしてその隷下部隊には、ラバウル・フィリピンの激戦で大活躍した鴛淵(おしぶち)孝大尉率いる「維新隊」第701飛行隊、同じくラバウルの勇士・林喜重(よししげ)大尉の「天誅隊」第407飛行隊、さらに、南方戦線のエース・菅野直(かんの・なおし)大尉率いる「新選組」第301飛行隊の3個戦闘飛行隊が置かれた。

 加えてパイロット育成の練成飛行隊として浅川正明大尉の「極天隊」第401飛行隊と、偵察を担任する橋本敏男大尉の「奇兵隊」偵察第4飛行隊があった。

 さらに、この第343航空隊には、120機撃墜のスーパーエース・杉田庄一上等飛行兵曹をはじめ、「空の宮本武蔵」こと武藤金義少尉、ラバウル航空隊で大活躍した宮崎勇飛行兵曹長、松場秋夫少尉、坂井三郎少尉、本田稔飛曹長など日本海軍が誇る撃墜王が集められたのだった。

 そしてこの部隊の主力機は、当時最新鋭にして最強の戦闘機「紫電改」(紫電21型)だった。

 「紫電改」は、20ミリ機関砲4門、零戦のおよそ2倍となる2千馬力エンジンを搭載し、パイロットを守る防弾板や、高い運動性を生み出す自動空戦フラップを備えた当時の日本海軍の最強戦闘機だったのである。まさしく「鬼に金棒」だった。
旧日本海軍航空参謀で第343航空隊(通称・剣部隊)司令の源田実大佐
旧日本海軍航空参謀で第343航空隊(通称・剣部隊)司令の源田実大佐
 昭和20年3月19日、偵察機から「敵大編隊、四国南岸北上中!」の一報を受け取るや、源田司令はただちに各隊に発進を命じた。

 「サクラ、サクラ、ニイタカヤマノボレ」。開戦劈頭(へきとう)の真珠湾攻撃時に用いられた「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文が再び使われたのである。迎撃に上がった「剣部隊」は、上空約5千メートルで態勢を整えて敵機を待ち構えた。

 敵編隊は、約1千メートル下方に位置しており絶対優位のポジションだった。そして54機の「紫電改」が敵大編隊に襲いかかったのである。