かくして激しい空中戦が本土上空で繰り広げられ、その結果、「剣部隊」は実に57機もの敵機を撃墜するという驚くべき大戦果を収めたのであった。わが方の損害は13機だった。

 この戦闘で、「剣部隊」と激突した空母「ベニントン」の艦載機のパイロットであるモブリー少佐は、その戦闘報告書で次のように記している。

 彼らの射撃と操縦技倆は、我が飛行隊のパイロットがこれまで見た最高の技倆と同程度に優れていた。対戦したパイロットは、明らかに日本軍航空部隊の精鋭であった。


 また、空母「ホーネット」の第2小隊長ワイス大尉はこう回想している。

 日本機の編隊に突っ込まれ一撃をかけられると、味方のおよそ半数が撃墜されるか、戦闘不能になっていた。我が機の胴体落下タンクは燃えており、胴体と翼には穴が幾つかあいていた。ぼくはタンクを捨て、火を消すために急降下した。


 敵戦闘機隊は「紫電改」にめった打ちにされたのである。

 昭和20年3月時点でのこの大戦果は、相次ぐ玉砕と本土空襲などで意気消沈していた大本営を歓喜させた。そして、この武勲は直ちに上聞に達し、「剣部隊」に対して連合艦隊司令長官・豊田副武(そえむ)大将から感状が授与されたのである。
局地戦闘機「紫電改」
局地戦闘機「紫電改」
 こうして「剣部隊」はその後も来襲する米軍戦闘機相手に勇戦敢闘した。すると、その精強さは海軍内でも注目され、鹿屋基地(鹿児島県)に前進して特攻機の護衛任務も任された。加えて対戦闘機戦闘だけでなく、大型のB29爆撃機に対する迎撃戦闘も行ったのである。

 航空隊は、敵機を効果的に迎え撃つため、第一国分基地から長崎県の大村基地に移動して戦い続けた。

 そして「剣部隊」は、B29爆撃機に対する迎撃戦でも大戦果を挙げている。5月11日には北九州上空で9機のB29を撃墜したのだった。