川上和久(麗澤大教授)

 歴史にifは許されない。しかし、もし新型コロナウイルスの感染拡大という未曽有の災厄(さいやく)に襲われることなく、東京オリンピック・パラリンピックが予定通り開催されていたならば、どうであろう。

 潰瘍性大腸炎の悪化による退任だったとしても、東京オリンピック・パラリンピックを無事成功に導き、首相としての連続在任日数も佐藤栄作首相を超えて歴代1位となった。6回の国政選挙に勝利した名宰相として、惜しまれつつも花道を飾る会見になっていたかもしれない。

 ところが、憲政史上最長であったにもかかわらず、新型コロナウイルス対応によるストレスと推測される持病の悪化で退任を余儀なくされてしまった。もちろん、こうなった以上、首相の胸中は、会見でもあったように「北朝鮮による日本人拉致問題の解決」「日露平和条約の締結」「憲法改正」をどれも成しえなかった無念に満たされていたのではなかろうか。

 中でも、自らのライフワークとしていた拉致問題の解決に道筋をつけられなかったことについて「痛恨の極み」と述べていた。首相の退任会見としては珍しいこの表現まで用いて、7年8カ月に及んだ在任期間でも成し得なかった悔恨の念を隠そうとしなかったのである。

 思えば、首相の退任会見はさまざまなドラマを生んできた。その在任中の思いもある意味凝縮されるからだ。

 1964年11月~1972年7月まで、安倍首相に次ぐ連続在任2798日を記録した佐藤首相の退任表明記者会見は、今でも語り草になっている。

 退任会見の際、「テレビカメラはどこかね、今日は新聞記者は話さないことになっている」と怒って内閣記者会の記者たちを追い立て、テレビに向けて「国民の皆さん」と直接呼びかけたのだ。この首相としてやや大人げない振る舞いは、「沖縄返還の実現など実績を残したのに、不当な佐藤バッシングをする新聞への最後のしっぺ返し」と揶揄(やゆ)された。
新聞記者の引き上げた会見場で、テレビカメラに向かって退陣の所信を表明する佐藤栄作首相=1972年6月、首相官邸
新聞記者の引き上げた会見場で、テレビカメラに向かって退陣の所信を表明する佐藤栄作首相=1972年6月、首相官邸
 実は、事務方が佐藤氏の意向をくんで、首相がテレビに直接語りかける形をセットしたはずだったそうだ。だが、内閣記者会との段取りの食い違いで、記者たちも陪席する形だということが佐藤氏に伝わっておらず、会見場に行ったら記者たちが並んでいたため、「話が違う」と激高したのが真相らしい。段取りの食い違いというハプニングではあったが、「偏向的な新聞は大嫌いだ」と思わず口走ったことで、佐藤氏の積年の新聞報道への恨みが図らずも露呈することとなった。