しかし、それも所詮ガス抜きのパフォーマンスにすぎなかったようだ。本気で総務会を止めるなら、総務会長を別室に拘束するなど、いくらでも方法はあった。だが、誰もそんなことをしなかった。最終的に執行部の提案通り、両院議員総会での総裁選出が決定した。

 要するに、安倍首相本人が何も言わずともその意向を忖度し、一糸乱れぬ隙のない動きで「石破潰し」「菅後継」の流れが即座に決まった。数々の修羅場を乗り越え、「権力の私的乱用」という批判から生き残ってきた安倍官邸には、自民党内を抑えることなど、朝飯前ということだろう。

 それでも、総裁選には菅氏以外に、石破氏と岸田文雄政調会長が出馬することになった。いずれも、「ポスト安倍」の有力候補とみなされてきたが、「菅後継」の流れに抗することができず、極めて困難な状況に陥った。

 前述の通り、石破氏は、「石破潰し」の厳しい洗礼を受けた。一時は、派内からの「非戦論」や立候補断念という情報が流れたほど追い込まれた。だが、よく立候補の決断をしたと思う。

 筆者は2018年の総裁選で、石破氏が安倍陣営から厳しい圧力を受けて苦戦していたとき、出馬することの大切さを指摘した。指摘だけでなく、「どうせ負けるなら、派手に負けて冷や飯を食っておいたがいい。その方が、安倍政権が破たんしたとき、チャンスが訪れるかもしれないから」とエールを送った。

 その際、石破氏に向けて、第2次世界大戦前に、東京帝国大経済学部教授だった河合栄治郎の話を紹介した。河合は、日本でファシズム勢力が台頭した時代に、「反ファシズム」の論陣を張り、著作が「安寧秩序を紊乱(びんらん)するもの」として、出版法違反で起訴された。

 河合は大学を追われ、著作4冊の発売禁止処分を受け、さらには裁判にかけられたが、法廷の場では「日本は戦争に負ける」と公言した。「私は無罪を信じるけれども、有罪ならば罰金刑ではなく、禁固を望む」「罪が重ければ重いほど、戦後自分が外国に対し発言する場合、自分の発言に重みがつくから」とまで言い放ったという。

 河合は、敗戦の後に起こる社会的混乱の中で、必ず自分の出番が来ると予期していた。そして、そのときにより大きな発言力を得て、新時代のリーダーとなるために、あえて時代が変わる前に、最も重い罪を科されておくことを望んだというのだ。

 残念ながら、河合は戦時中に病死した。しかし、戦後は河合が言った通りになった。戦時中に「重罪」に処せられた人物が、戦後に大出世したのである。その代表例が吉田茂だ。

 古い時代に迎合せず、冷遇されていた人物ほど、新しい時代が始まれば、時代の寵児となる。だから、石破氏は一歩も引かず徹底的に安倍首相と戦うべきだと、筆者は言った。
日本記者クラブでの自民党総裁選立候補者討論会に出席した石破茂元幹事長=2020年9月12日、東京都千代田区(鴨川一也撮影)
日本記者クラブでの自民党総裁選立候補者討論会に出席した石破茂元幹事長=2020年9月12日、東京都千代田区(鴨川一也撮影)
 石破氏は、18年の総裁選敗北後も、安倍首相からの冷遇に怯(ひる)むことなく、「言うべきことは言う」という反主流の姿勢を貫いた。その結果が、「次の総理」の世論調査では常に圧倒的な1位という現在の評価だ。安倍首相の周囲が露骨に「石破潰し」をしなければならないほどの存在感があるのだ。