倉山満(憲政史家、皇室史学者)

 昔は巨人の4番バッターと言えば、野球に興味がない人でも知っていたものだ。川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳、松井秀喜…。そういう時代は、ゴジラ松井までだろう。

 「岡本!」と言われても、私などは職業柄、前財務事務次官の岡本薫明(しげあき)氏(愛称、シゲーリン)を思い出してしまう。スポーツニュースから「今日は岡本大活躍でしたね」と聞こえてくると、「また増税か!?」などと身構えてしまう。冗談はさておき、岡本和真には申し訳ないが、「日本人が誰でも知っている日本人」がいかに少なくなったか。

 戦前、勝負事で日本人が誰でも知っている日本人と言えば、相撲の双葉山と将棋の木村義雄十四世名人だった。双葉山は無敵の大横綱、木村は他の一流棋士をことごとく倒して10年間名人の地位に君臨した。時代を代表する日本人として尊敬された。

 令和日本で、藤井聡太二冠は間違いなく、「日本人が誰でも知っている日本人」だろう。藤井は木村の正統後継者となる道を歩んでいる。藤井の何がすごいのか。将棋の歴史をたどりながら、位置付けてみたい。

 江戸時代、将棋の名人は世襲だった。名人の地位は、大橋家(本家と分家に分かれる)と伊藤家の家元三家が独占した。一人の実力者が死ぬまで名人を名乗る。だから、名人在世中に実力者が現れても、名人にはなれない。死ぬまで待つしかない。

 明治維新で将棋界の保護者であった幕府が倒れ、大橋家と伊藤家の名人位独占が崩れる。十二世名人は小野五平、十三世名人は関根金次郎が継いだ。ちなみに小野は90歳を超える長命で、関根は全盛期に名人に就くことができなかった。

 昭和9年、関根は「実力制名人位」を打ち出す。家元制を廃し、実力により名人の地位を決することとなる。関根後継の名人位をめぐる戦いは翌年から行われ、2年にわたる戦いを制したのが、木村だった。

 木村は、「大阪名人」を称し坂田三吉との「南禅寺の決戦」でも圧勝している。坂田は村田英雄の演歌『王将』で歌われたので有名で、人気は抜群だった。ただ、かつての関根の好敵手も、全盛期は過ぎていた。初手に「端歩突き」という定跡からはずれた一手を繰り出すが、木村は冷静に対処、有無を言わせぬ勝ち方だった。序盤中盤終盤と攻守に隙がなく、風格を見せつけるような勝ち方だった。
木村義雄十四世名人
木村義雄十四世名人
 木村に肉薄した好敵手が、花田長太郎と金子金五郎だった。「序盤の金子」「終盤の花田」に対し、「中盤の木村」と言われた。

 将棋において、序盤とは戦いが始まるまでの陣形を組む段階、終盤とは勝負を決する戦いの段階であり、中盤とはその中間である。何をもって中盤と考えるか自体が、戦いに臨む一つの哲学である。極端な言い方をすれば、「どのような戦い方に変化していくのか、無限に可能性があるのが序盤」であり、「一つの結論に向かって収束していく段階が終盤」である。