谷川は、「できるなら、こんな勝ち方をしたい」と誰もが思うような、攻め将棋である。若い頃の谷川は、序盤の作戦負けなど意に介さなかった。多少の不利など、ひっくり返す。相手が中盤の入り口と思っているときに、詰みを読んでいる。「光速流」と称される谷川の攻めが始まったときには、相手に選択肢はない。一方的に攻められるだけで、気づいたときには首と胴体が離れている。あまりの美しい負け方に、負けた相手が感動するのが谷川将棋だ。

 谷川より若い世代は、誰もが憧れた。そして谷川将棋を、血肉とするがごとく研究した。羽生善治、森内俊之、佐藤康光らだ。谷川は、中原と羽生に挟まれて、「谷川時代」を築けなかった。

 象徴的なのが、平成2年と4年の竜王戦だ。2年の前年に19歳で名人と並ぶ竜王のタイトルを得ていた羽生に、谷川は挑戦した。竜王戦は賞金ランキングが最も高いタイトル戦で、竜王は「その年で最も強い棋士」と目される。羽生は他の棋戦で谷川に何度も勝っているので、谷川としても名人戦以外で最も格式の高い竜王戦で羽生を叩いておきたい。まだまだ本気の谷川に羽生はかなわず、1勝4敗で敗北した。

 だが、その1勝が大きかったと羽生は振り返る。2年の竜王戦第4局、既に3連敗している羽生は、200手を超える熱戦を制した。ここで完敗しなかったことが、この1勝で谷川に対して劣等感を抱かず、「戦える!」との意識を持てたとのことだ。しかもこの200手は、引き分け模様でダラダラと手数が長いのではなく、最後までどちらが勝つか分からない緊張感が続いての200手である。

 羽生は「勝敗だけにこだわるならジャンケンでよい」と語ったことがある。羽生に限らず、棋士は「美しい棋譜を残そう」との意識が強いが、羽生の美意識はまるで将棋の神と対話しているのではないかと思わされるところがある。

 大山や中原の時代は自分の手の内を隠そうとしたが、羽生世代は惜しげもなく研究を披露する。将棋の真理を極める学術的共同作業であるかのように。だから、研究のレベルは飛躍的に上がり、実戦で新手が出る時代ではないと言われるようになった。「新手一勝」である。現代将棋は、誰もが思いつかないような一手を考え出しても、次には対策が出される時代なのである。

 2年後の竜王戦では、谷川は満を持して羽生を迎え撃った。第1局で「5七桂」、第6局で「6九馬」と絶妙手が飛び出すが、羽生は4勝3敗で制す。絶頂期の谷川に打ち勝った。その後の羽生は、谷川ら多くの強敵と数多くのタイトル戦で戦うこととなるが、30年に及ぶ長い全盛期を築き上げる。タイトル99期は史上最高である。

 羽生は歴代名人すべての長所を兼ね備えている理想の名人と評されることがある。木村の中盤、米長の終盤、升田の序盤、大山の受け、谷川の攻め、そして中原のバランス。最も棋風が近いのは、中原である。中原も羽生を自分の後継者と見なしているような節もある。
第60期王位戦挑戦者決定リーグで、永瀬拓矢叡王に勝ち歴代最多勝を記録した羽生善治九段(左)=2019年6月、東京・将棋会館(鴨川一也撮影)
第60期王位戦挑戦者決定リーグで、永瀬拓矢叡王に勝ち歴代最多勝を記録した羽生善治九段(左)=2019年6月、東京・将棋会館(鴨川一也撮影)
 谷川に代わって羽生のライバルとなったのは、森内である。十八世名人資格者で、十九世名人資格者の羽生より先に、名人5期を獲得した。平成14~29年まで、名人は羽生と森内しか就いていない。「二人の世界」と評された。

 森内の持ち味は、「鉄板流」と呼ばれる強靭な受けである。大山が振り飛車という最初から受け身の戦法を得意としたのに対し、森内は居飛車という攻勢を取りやすい戦法での受けが持ち味だ。