序盤の研究が進んでいる現代将棋界で、谷川以来の終盤型棋士の登場ということで、プロ間でも感嘆されている。話題となった、飛車のただ捨て「7七飛成」などは、確かに絶頂期の谷川十七世名人を思わせる。ちなみに得意戦法も「角換わり」で、谷川と同じである。そして単に強いだけではなく、勝ち方の美しさと、そこに至る読みの深さが脅威と評価されているのだ。

 一般にも「10万手を23分で読んだ」と話題になった。コンピューター将棋が10万手読んで見つけた最善手を、藤井は23分で見つけたから、そのように表現された。より正確に言えば、10万手を読んだのではない。

 これは、どういうことか。まず、コンピューターは正解の一手を、1万手、2万手…と読んでいっても、悪手だと判断した。実際、藤井が指したとき、解説のプロ棋士も意味が分からなかった。ところが数手進むと藤井の意図が明らかになり、そのときには勝敗は決していたのだ。より正確に言えば、「コンピューターが10万手読んでようやく正解だと判断した一手を、藤井は10万手も読まずに見抜いた」なのである。

 もはや人間はコンピューターにかなわない。コンピューターは忘れないし、疲れないし、緊張しない。暗算では電卓にかなわないのと同じ理屈だ。だが、人間はコンピューターと違って、評価ができる。どんなコンピューターも、本質は計算器である。ある価値観に基づいて計算するだけである。将棋の場合だと、「敵の王様を詰ませる手を先に見つけたら勝ち」という価値観である。だから、終盤ではコンピューターは絶対的である。詰みを見つけたら絶対に逃さない。人間が「ノーミスだったら勝ち目がある」は、もはや過去の話である。

 しかし、どの価値観が正しいかは、人間にしか分からない。藤井のすごさは、価値観の部分である。

 そう言えば、谷川には「大局観」を重視する著作が多い。羽生も「何を美しいとするかの価値観」の重要性を一切ならず説いている。数学者が深く極めていくほどに、「哲学」を重視するようなものか。この場合の哲学とは、もちろん論理や計算の裏付けがなければならない。

 大局観とは、将棋においては具体的には、形勢判断である。その判断基準は序盤中盤終盤で異なるが、いずれにしてもどちらが優勢であるかの評価が勝負を決める。藤井が優れているのは、他の一流棋士が「不利だ」「打つ手がない」と判断する局面で、「有利だ」「この局面でこの一手を指せば勝てる」と見抜ける大局観なのである。それには膨大な読みの裏付けが存在する。
記者会見する藤井聡太二冠=2020年7月、愛知県豊橋市
記者会見する藤井聡太二冠=2020年7月、愛知県豊橋市
 将棋の歴史とともに、ルールを知らなくても藤井のすごさが理解できるように解説したが、いかがだっただろうか。
 
 「藤井聡太」は、暗い時代に数少ない明るい話題である。