今村浩(早稲田大社会科学総合学術院教授)

 自民党総裁選を経て総裁に就任、さらに首相指名選挙をもって、ついに菅義偉(よしひで)新首相が誕生した。一部には、今回の総裁選出過程を難じて「国民不在の派閥政治」との評もあるようだ。

 ここで言われる派閥とは、自民党の国会議員が非公式に形成している政治集団のことである。しかし、私としては、この非難はいささか的を外していると感じられる。そこで今回は、いわゆる「派閥政治」の歴史と現在、そして未来について論評したい。

 今回の「派閥政治」批判の矛先の一つは、国会議員と同等の重みを持つ党員投票が行われないという点に向けられた。たしかに、自民党の党員数は日本最大である。しかし、昨年末に約108万人と伝えられる党員の数は、それでも有権者人口約1億600万人の約1%にすぎない。

 ただし、自民党員の構成が、さまざまな指標において全国民あるいは有権者の忠実な縮小模型であるなら、党員投票は「民意」を反映すると言えるかもしれない。だが、自民党にかぎらず、特定の政策志向を持ち、政治信条を同じくする政治組織である政党に党費を払ってまで加入している人々が全国民の縮小模型であるわけがない。党員投票する人の数が多ければ、その選挙は民主的だというわけではないのだ。

 候補者の共同会見や報道番組への出演を通して、それぞれの政見の相違も浮き彫りになった。とりわけ私の印象に残ったこととして、前政調会長の岸田文雄氏が憲法改正への積極姿勢や皇統の男系維持を唱えて、従来の所属派閥のイメージから離れたようにも思われたことである。それゆえ今回の総裁選を、派閥政治批判でよく提起される「密室の談合」のように言うことはできないであろう。公開の場での明確な発信をもたらしたという意味で、密室の派閥談合という批判は受け入れ難い。

 それはそれとして、かつての「派閥全盛時代」と現在の派閥は様変わりしている。そこでまずは、派閥政治の背景と歴史を少し見ておこう。日本の衆議院の選挙制度は長きにわたって「中選挙区制」と俗称され、厳密には「大選挙区単記非移譲式制」が採用されてきた。

 これは一選挙区の定数が3~5にもかかわらず、有権者は一票しか投ずることができない単記制であり、世界に例を見ぬユニークな選挙制度として大正時代より行われてきたものである。ただ、政治改革により中選挙区制は小選挙区比例代表並立制となり、候補者と支持政党へ一票を投じて候補者と比例代表が当選するようになった。それゆえ、この選挙制度に慣れ親しんだ層は主に50代以降であり、その数は徐々に減りつつある。
1993年、細川護熙首相(右)を官邸に訪ね、政治改革などについて話し合う市川雄一公明党書記長。
1993年、細川護熙首相(右)を官邸に訪ね、政治改革などについて話し合う市川雄一公明党書記長。
 昭和20年代(1945年~)の日本の政党政治は、戦前の系譜に連なる政党が主流を占め、明治以来の政党政治の延長線上に位置づけ得る点もある。しかし、1955年に左右両派に分かれていた社会党が統合して日本社会党が誕生し、一方で自由党と(最近の民主党とは何ら関係がない)民主党が、合同して自由民主党となった。こうして成立した政党制を、政治学では55年体制と呼ぶ。

 このいわゆる55年体制とは、政党制としては自民・社会の二大政党が圧倒的な力を持ちつつも、通常の二大政党制とは異なり実は政権交代の可能性には乏しい自民党優位のものであった。これは自民党の議席数を1とし、それに対して社会党は約50%の議席を維持し続ける「1と2分の1政党制」であった。