礒﨑敦仁(慶応大准教授)

 本日の首相指名選挙を経て、菅義偉(よしひで)新総理が誕生した。菅氏は安倍晋三政権の踏襲を掲げたが、その安倍政権下では拉致問題について実質的な進展が見られなかった。

 辞任会見では「最も重要なことは結果を出すこと」との言及があったばかりか、拉致問題で「結果が出ていない」ことが「痛恨の極み」であるとされた。

 この問題を「政権の最重要、最優先課題」と位置づけ、「拉致被害者の家族が肉親を抱きしめるまで私の使命は終わりません」と連呼し続けた総理であるばかりに、安倍政権下で進展が見られなかったことは残念でならない。

 拉致問題が国民的課題となってから、日本社会はこの問題を長年放置し続けたことを悔い、政治家は党派を問わずその犯罪性を糾弾するようになった。加害者と被害者の構図が明確な問題では、国民の気持ちがまとまりやすいことは言うまでもない。

 小泉純一郎総理が金正日総書記との間で史上初の日朝首脳会談を実現させ、5人の拉致被害者を奪還したのは18年前のことである。当時の安倍総理は官房副長官として訪朝に同行し、北朝鮮に対して誰よりも強硬な立場を見せることで大変な人気を得た。

 いまから3、4年前、北朝鮮が核・ミサイル実験を繰り返していたときにも日本社会はまとまりやすかった。全国瞬時警報システム(Jアラート)が鳴り、安倍総理が前面に立って北朝鮮を非難した。

 2017年9月には国連総会において「必要なのは対話ではない。圧力なのです」と主張し、その直後には「北朝鮮の脅威に対して、国民の命と平和な暮らしを守り抜く」として、「国難突破解散」が宣言された。その時点では既に北朝鮮が対話攻勢に転換する可能性が見え始めていたが、そのことには触れられなかった。

 18年6月、シンガポールで史上初の米朝首脳会談が実現したが、その直前にトランプ大統領が首脳会談の中止を表明したことがあった。安倍総理は即座にそれを「尊重し、支持」した。さらに翌年2月、ハノイでの第2回米朝首脳会談が合意ゼロで事実上の失敗に終わったことについても、安倍総理は「全面的に支持する」と述べた。
首脳会談が行われたホテルの庭園を並んで歩くトランプ米大統領(右)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=ハノイ(ロイター=共同)
首脳会談が行われたホテルの庭園を並んで歩くトランプ米大統領(右)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=ハノイ(ロイター=共同)
 北朝鮮側はそのような言動を注意深く観察し、安倍総理の目的は国内の支持獲得であり、実際には日朝関係を進めるつもりはないと読んできた。

 しかし、外交による懸案解決には相互の歩み寄りも必要となる。強硬姿勢だけでは、国内的な支持を得ることはできても実際の成果には結びつきづらい。制裁を先導してきた安倍総理は昨年5月に、ようやく金正恩朝鮮労働党委員長との「無条件対話」について言及し始めたが、既に北朝鮮側の安倍政権に対する不信感はピークに達していた。日朝は相互不信に陥って久しい。