2020年09月19日 11:16 公開

米連邦最高裁は18日、ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が亡くなったと発表した。87歳だった。大統領選を目前にしたその死去は、今後のアメリカの国のあり方に大きな影響を与える可能性がある。

最高裁の史上2人目の女性判事で、女性や少数者の権利を強力に擁護したギンズバーグ判事は、すい臓がんのため亡くなった。最高裁によると、ワシントンの自宅で家族に囲まれて息を引き取ったという。

「私たちの国は、歴史的な法曹家をたったいま失いました」と、ジョン・ロバーツ最高裁長官は声明を発表した。「最高裁の私たちは、大切な同僚を失いました。今日はみんな悲しみにくれています。しかし、ルース・ベイダー・ギンズバーグの記憶は、未来まで続くと確信しています。私たちが知っていた通りの彼女を。疲れ知らずで決然として正義を守る彼女のありのままの姿を、未来の世代も記憶し続けると」。

判事の訃報が伝わると、最高裁の前には数百人が次々と集まり、黙祷(もくとう)を捧げたり、「アメイジング・グレイス」や「イマジン」を歌ったりしている。

ホワイトハウスは追悼のため半旗を掲げた。

ギンズバーグ判事は近年、がんや骨折のため入退院を繰り返しながら、その都度、職務に復帰していた。

今年7月に、がんが再発したため治療を再開したと発表していたが、公務は続けていた。7月の時点でギンズバーグ判事は、治療は「良好な結果」が出ており、職務遂行は「まったく問題ない」と発表。「全力で仕事ができる間は、最高裁の判事を続けるとこれまでも繰り返していた。今も全力で仕事ができる」と述べていた。

最高裁判事を27年間務め、近年では最高齢だったギンズバーグ氏は、アメリカを代表するフェミニストの1人で、リベラル派にとって象徴的な存在だった。たびたび重病を患いながらも、口頭弁論に病床から参加するなど、最高裁での口頭弁論をほとんど欠席したことがなかった。

今後の人選めぐり与野党対立

11月3日の大統領選を目前にしている現状で、後任の指名・承認プロセスがどうなるのか注目されている。

最高裁判事は大統領が指名し、上院の承認をもって就任する。現在の上院(定数100)は、与党・共和党が53議席で多数党。

米公共放送NPRによると、ギンズバーグ判事は亡くなる数日前に孫娘に声明を口述していた。その中で判事は、「新しい大統領が就任するまで、私の後任人事が行われないよう、激しく切望しています」と述べたという。

一方、ミッチ・マコネル上院院内総務(共和党)は声明で、ギンズバーグ判事の訃報に哀悼の意を示した上で、上院は大統領選の前でも、トランプ大統領が指名する最高裁判事候補について採決することになると表明した。

これに対して、野党・民主党の大統領候補、ジョー・バイデン前副大統領は、「はっきり申し上げる。大統領は有権者が選ぶべきで、上院が検討する判事候補は大統領が選ぶべきだ」と反論した。

米CBSニュースによると、トランプ氏は可能な限り速やかに保守派の判事を公認候補として指名する方針という。

ミネソタ州で選挙集会を開いていたトランプ氏は、記者団にギンズバーグ氏の訃報を知らされ、「知らなかった。見事な人生だった。それ以外に言いようがない」と反応していた。

現在の米最高裁は長官を含む計9人の判事が5対4で保守多数となっている。最高裁判事の任期は終身。トランプ大統領はこれまですでに、保守派判事2人を最高裁に送り込んでいる。ギンズバーグ判事の後任も保守派になった場合、最高裁判事の構成が6対3で圧倒的に保守寄りになる可能性がある。アメリカの連邦最高裁は、人工中絶や同性結婚など国民生活の多岐にわたり影響を与える判断を示すことがあるため、最高裁判事の構成は個々の大統領の任期を超えて、長く米社会に影響を及ぼすことになる。

最高裁はこのほか、連邦政府や州政府との関係や、連邦政府の政策に対して、重要な法的判断を下す。あるいは死刑執行の差し止めの是非も最終的に判断する。

近年の最高裁は、同性婚の合法性を全米50州で認めたほか、トランプ政権による一部の国からの入国停止措置の合法性を追認。ほかには、気候変動対策としての炭素ガス排出計画の差し止め請求を認めるなどした。激しい接戦で結果がなかなか判明しなかった2000年大統領選の際には、最高裁がフロリダ州の再集計を差し止め、その結果、ジョージ・W・ブッシュ氏が当選した。

大統領選の年に最高裁判事を新しく指名・承認することの是非については、2016年に当時野党だった共和党が、審議拒否したという経緯がある。当時のバラク・オバマ大統領は、保守派のアントニン・スカリア判事の死去を受けて2016年3月に、穏健派のメリック・ガーランド氏を指名したものの、共和党は大統領選の前に新しい最高裁判事を決めるべきではないと、上院司法委の承認審議をいっさいしなかった。一方で現在与党の共和党は、大統領選を目前に、トランプ氏が指名する保守派判事について審議する姿勢を示している。

「RBG」ことギンズバーグ判事とは

ジョアン・ルース・ベイダー氏は1933年、ニューヨークのブルックリンで、ユダヤ人移民の両親の間に生まれた。17歳の時に母親をがんで亡くしている。

コーネル大学で夫のマーティー・ギンズバーグ氏と出会い、結婚。マーティー氏が無くなる2010年まで56年間添い遂げた。夫妻には2人の子どもがいる。

ギンズバーグ氏は1956年、夫より1年遅れてハーヴァード大学のロースクールに進学。同期入学した女性は9人だった。当時の学長がこの9人に対し、男性の入学枠を奪ったことを正当化するよう要求したのは、有名な話になっている。

その後、ニューヨークにあるコロンビア大学のロー・スクールに移動した。どちらの大学でも女性として初めてロー・レビュー(法学雑誌)の編集委員に選ばれている。

こうした成功にも関わらず、ギンズバーグ氏は就職活動で苦労したと語っている。

「ニューヨーク市には私を雇ってくれる法律事務所はなかった。私はユダヤ人で、女性で、母親という三重苦を抱えていた」

ギンズバーグ氏は1963年にラトガース大学のロー・スクールで教授となり、女性の権利プロジェクトやアメリカ自由人権協会(ACLU)を共同創設した。ACLUの会長としてさまざまな性差別事件を受け持ち、そのうち6件は最高裁判所まで持ち込まれた。

男性判事相手に「幼稚園の先生」

ギンズバーグ氏は1963年、ラトガース大学ロー・スクールの教授となる。当時はまだ珍しい女性関連法の講座を持ったほか、アメリカ自由人権協会(ACLU)で、「女性の権利プロジェクト」を共同で立ち上げた。1973年にはACLUの顧問弁護士に就任し、性差別を巡る裁判を数多く担当した。そのうち6件は連邦最高裁まで進み、ギンズバーグ氏は最高裁での審理に出廷した。

たとえばギンズバーグ氏は、空軍所属の女性中尉が夫のための住宅手当支給を拒否された案件を担当した(男性同僚たちは配偶者手当を受けていた)。

ギンズバーグ氏はまた、男性の訴訟案件も引き受けた。1975年には、出産中に妻を亡くした若い男性が、福利厚生の支給を拒否された案件を受け持った。

「この男性の案件は、性差別がいかにあらゆる人を傷つけるかを示す完璧な事例だった」とギンズバーグ氏は数年後に、指名承認公聴会で述べた。

最高裁で争った6件のうち5件に勝訴したが、当時のことをギンズバーグ氏は、男性だけの判事を相手に、性差別をまるで「幼稚園の先生」のように説明しなければならなかったと振り返っている。

中絶しないと解雇だと迫られた空軍の女性大尉の訴訟も担当した。ギンズバーグ氏は、この訴訟が憲法判例となり、生殖の自主決定権が保障されるよう期待していた。しかし代わりに空軍が方針を変更し、訴訟は棄却された。

翌年の「ロー対ウェイド事件」では、米国における人工中絶の問題に決着をつける司法判断が下された。しかしこの判決は女性の中絶権を法的保護の平等の問題ではなく、プライバシー権の問題として扱ったため、ギンズバーグ氏は懸念を募らせた。

ギンズバーグ氏は1984年の講義で、「裁判所命令はあまりに勇み足で、判断の正当化は不十分だった」とこの時のことを振り返った。

最高裁2人目の女性

1980年、当時のジミー・カーター大統領は連邦裁判所の多様化に取り組んでおり、その一環としてギンズバーグ氏をコロンビア特別区(ワシントン)連邦控訴裁判所の判事候補に指名した。保守的な判断を繰り返すことで、ギンズバーグ氏は中道派として評価された。たとえば、同性愛を理由で海軍から解雇されたと主張する水兵の審理では、水兵の主張を認めなかった。

1993年になると、当時のビル・クリントン大統領が、判事候補を長いこと探した挙句、ギンズバーグ氏を最高裁判事に指名した。米誌ニューヨーカーによると、「ロー対ウェイド」判決に関する過去の発言を理由に、ギンズバーグ氏指名に実は反対だという女性権利団体もあった。しかし最終的にクリントン氏は決意を固め、ギンズバーグ氏は史上2人目の女性として、最高裁判所判事候補に指名された。

「決め手は本人との面接だった」とクリントン氏は、2018年のドキュメンタリー映画「RBG」で述べた。「文字通り15分以内に、彼女を指名しようと決意した」。

上院の指名承認公聴会でギンズバーグ氏は、中絶選択権の支持派として確固たる意見を次々と表明した。

「女性が男性と平等に扱われるには、女性が意思決定者にならなくてはならない」とギンズバーグ氏は上院で述べた。「女性の選択を妨げる制約を科せば、性別を理由にその女性を不利な立場に置くことになる」。

猛烈な反対意見

ギンズバーグ氏が最高裁で担当した初期の裁判で非常に重要なものの1つに、「合衆国対ヴァージニア州」の訴訟がある。男子限定のヴァージニア州立軍事学校の入学受け入れ方針を無効としたものだ。過半数の判事による多数意見(判決文の一部)でギンズバーグ氏は、いかなる法律も方針も、女性の「完全な市民としての地位、個人の才能や能力に基づいて社会で熱望し、達成し、社会に参加して貢献する機会」を否定すべきではないと書いた。

1990年代後半にギンズバーグ氏の判事助手を務め、現在はジョージ・ワシントン大学で法律学を教えるポール・シフ・バーマン教授は、ギンズバーグ氏は「性別による分類は憲法修正第14条の平等保護条項に反すると、最高裁に分からせようとしていた」と話す。

アメリカで司法の保守が進む中、ギンズバーグ氏の立ち居地は中道からどんどん左へと移動した。そして、その激しい反対意見が有名になった。

「シェルビー郡対ホルダー事件」では、裁判所は5対4で投票権法(1965年)の一部を無効とした。地方自治体の投票ルール変更には連邦政府の事前承認が必要だという決まりを、排除したのだ(条項は、有権者の投票を阻止する妨害行為の防止が目的)。

アメリカの国内事情は大いに進歩しているのだから、たとえ地方自治体が投票のルールを変えようとしても、連邦政府がいちいち事前承認などする必要はないというのが、この時の多数意見だった。これに対してギンズバーグ判事は、「自分は濡れてないから大丈夫だと、暴風雨の中で傘を投げ出すようなものだ」と反対意見を書いた。

判事から象徴的存在へ

ギンズバーグ判事の舌鋒鋭く手厳しい反対意見に注目した、シャーナ・カニジニックという若い法学生が、ソーシャルメディアのTumblrに、ギンズバーグ氏に特化したアカウント「ノートリアス(悪名高い)RBG」を作った。ラッパーの故ノトリアス・BIGをもじった名称だ。

このアカウントによって新しい世代の若いフェミニストたちの間で、ギンズバーグ氏は有名な人気者となった。カニジニック氏と共著者のカーモン氏はこのブログの名前を題名に本を発表し、本はベストセラーとなった。

ギンズバーグ判事はアメリカのリベラル層にとって、まさに象徴的な存在だ。新しい伝記ドキュメンタリー映画「On the Basis of Sex」(性別に基づき)やベストセラー「Notorious RBG」(悪名高いRBG)で取り上げられ、ミレニアル世代の女性たちの間でも有名になった。判事の似顔絵が描かれたTシャツやコーヒーカップ、ミニチュアフィギュアや人形も販売されている。

ハロウィーンには「ミニ・ギンズバーグ」たちが裁判で使う小槌を叩くたくさんの写真がSNSにあふれたし、年末には判事の人形をクリスマスツリーの装飾にする人たちが相次いだ。

「ノートリアスRBG」は、ギンズバーグ氏をポップカルチャーのスターへと押し上げるのに一役買った。女優ケイト・マキノン氏は人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」でギンズバーグ氏を演じるようになった。ギンズバーグ氏自身も自分の似顔絵が描かれたTシャツを配っていると言われている。

「ギンズバーグ判事自身もとても喜んでいると思う」と、元助手のバーマン氏は言う。「自分が残すものが、特に次世代の若い女性たちの刺激になるというのは、本人にとってとてもワクワクすることだと思う」

ポップ・カルチャーの一部になったことで、ギンズバーグ氏の人生のあらゆる側面がインターネットで注目されるようになった。

コメディアンのスティーヴン・コルベア氏はギンズバーグ氏のエクササイズを真似してみたし、判事が好むレースの手袋や、法服の上に付ける「ジャボ」と呼ばれるレースの襟も注目されるようになった。

ギンズバーグ氏が「反対意見を述べる時に選ぶ」と言われる襟は、ミニチュア版のネックレスが作られている。

ギンズバーグ氏は謹厳実直な女性として知られているが、オペラを心から愛している。保守派の故アントニン・スカリア判事は同じくオペラが大好きで、イデオロギーでは正反対だったものの、2016年に亡くなるまでギンズバーグ氏の親しい友人だった。

「すっかり夢中になってしまう」とギンズバーグ氏はドキュメンタリー映画「RBG」で、オペラについてこう語る。「まるで電流が全身を流れるみたいに」。

2019年にNPRの取材で、色々と困難の多い人生を振り返り何か残念に思うことはあるかと尋ねられると、判事はこう答えていた。

「自分はとても明るい星のもとに生まれたのだと思っています」

(英語記事 Ruth Bader Ginsburg: US Supreme Court judge dies of cancer, aged 87 / Ruth Bader Ginsburg: Supreme Court Justice dies