加藤聖文(国文学研究資料館准教授)

 今から75年前、大日本帝国という、現在の日本国よりも広大な支配領域を持つ国家が存在していた。

 大日本帝国は台湾、朝鮮半島、大連と旅順を含む遼東半島の先端部(関東州)、サハリン島の南半分(南樺太)、ミクロネシア(南洋群島)を支配していた。さらに満洲国といった傀儡(かいらい)国家を通じて中国東北を実質的に支配し、日中戦争が始まると、中国本土にも蒙古自治邦政府、南京国民政府といった傀儡政権を樹立した。最盛期には東南アジアも占領した。

 1945年、大日本帝国は第2次世界大戦に敗れたことによって崩壊する。私たちは昭和天皇が国民に終戦を伝えた玉音放送が流れた8月15日を境に、大日本帝国の時代であった戦前と、日本国の時代となる戦後を切り分け、この年を起点に「戦後何年」といった呼び方をしている。

 大日本帝国が崩壊すると、歌謡曲『リンゴの唄』(霧島昇、並木路子)が流れる平和な時代がスタートしたように思われがちだが、ここには大きく見落とされた現実がある。

 大日本帝国が支配領域を拡大するにつれて、そこに日本人が渡っていった。国際化社会といわれる現在ではビジネスパーソンなどが海外に移り住み、アジアには約40万人の日本人が居住している。この数は敗戦時の樺太(サハリン)にいた日本人とほぼ同じである。同時期のアジアには、現在の9倍に近い350万人の民間人が居住しており、現在の大阪市の人口、270万人より80万人も多い。

 これだけの日本人が敗戦によって「外国」となった地域に残留することになった。彼らが日本へ帰還することは海外引き揚げと呼ばれ、帰還者らは引き揚げ者と呼ばれた。ただし、彼らが平穏無事に帰還できたわけではない。
岸壁で引き揚げ者を出迎える人々(舞鶴引揚記念館提供)
岸壁で引き揚げ者を出迎える人々(舞鶴引揚記念館提供)
 ポツダム宣言を受諾する際、日本政府は在外出先機関に対して民間人の現地定着方針を指示した。