まず、籠城戦では、どのように兵糧を調達していたのだろうか。基本的に戦国時代の戦争では、各将兵が当座の兵糧を自弁することになっていた。しかし、長期の兵糧攻めでは、個人的な努力で準備するのが困難なのは自明である。

 戦国大名には御用商人が存在し、彼らが兵糧調達をサポートした。御用商人は兵糧と武器を調達し、小荷駄隊と称する兵站を担当する部隊がこれを運搬した。

 また、戦地が遠隔地の場合は、海路を船で運搬し、馬に乗せて陸路から兵糧を運ぶこともあった。むろん、言い値で買うのではなく価格交渉をし、折り合いがつかなければ、別の商人から買うこともあった。

 御用商人から調達した兵糧が足りない場合は、周辺の村々から強奪することもあった。また、生育中の農作物を刈って兵糧とすることもあり、これは籠城側の兵糧を奪うことにもつながった。

 ほかにも、兵糧調達の方法があった。たとえば、川や海が近くにあれば、魚、貝、海藻などを採集し、調理することもあった。さらに食べることができる野草なども採集し、兵糧としたのである。

 一方、籠城側は城内に食糧を備蓄していたが、それでも足りないことがあるので、御用商人から購入した。あるいは、同盟関係にある大名から兵糧を提供されることがあった。

 そこで、攻撃側は「米留」「荷留」といって、商人の籠城側への食糧搬入を阻もうとした。同じく、攻撃側は城へ通じる主要な街道を封鎖し、武器なども含めて補給路を断ったのである。

 では、兵糧攻めの手順を確認しておこう。

 攻撃側は本陣を定めると、敵を包囲すべく土塁や柵を築いた。また、付城という小さな砦(とりで)を随所に築き、軍勢を置いた。こうして城を完全に包囲し、兵糧攻めの準備は完了する。

 その後、攻撃側は籠城側の補給路を断ち、同時に稲を刈るなどし、本格的な兵糧攻めを展開する。また、城内に通じる水の手を断つことも重要なことだった。水がなければ、人間は生きていけないからだ。

 籠城側も周囲に付城を築き、また味方の支城と連携することで対抗するが、攻撃側はそれらを落とすことで戦いを有利に進めようとした。籠城側には後巻という援軍がやって来るが、これを攻撃側が撃退すれば、もはやほとんど勝利を手にしたようなものだ。こうして籠城側は孤立を余儀なくされ、やがて城内に厭戦ムードが漂うことになる。

 その後、攻撃側は調略戦を仕掛け、城内から内応者を募った。調略がうまくいけば、内応者が城内で反乱を起こしたりするので、その動きに乗じて一気に城内へと突撃する。あるいは、降伏するよう求め、一定の条件を付けた。城主やその一族に切腹を科し、代わりに城兵の命を助けるという条件が多かった。籠城側が条件を飲めば、降伏・開城へと手続きは進んでいく。
※写真はイメージ(ゲッティイメージズ)
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 兵糧攻めで忘れてならないのは、城内で飢えに苦しむ将兵たちである。餓死者が出ると、城内には伝染病が蔓延することもあった。兵糧不足に苦しむ城兵は、馬や鼠などの小動物、壁の漆喰(しっくい)の藁(わら)を食し、最後は人肉すら食らったという。ある意味で、兵糧攻めは非人道的な作戦だったのかもしれない。