内藤正典(同志社大教授)

 9月27日未明、南カフカス地方のアゼルバイジャンとアルメニアの間で、ソ連時代に自治州だったナゴルノ・カラバフをめぐって、突然、軍事衝突が発生した。約2週間後の10月10日には現地時間の正午に捕虜と遺体の交換のため、赤十字の仲介で停戦するとロシアのセルゲイ・ラブロフ外相から発表されたが、両国とも、互いに停戦違反があったとして戦闘を継続している。

 この停戦は、前日ロシア政府が当事国の外相を呼んで10時間にわたる協議の末、暫時停戦させるところまで持って行ったのだが、和平の前提条件については何ら言及せず、欧州安全保障協力機構(OSCE)のミンスク・グループ(米露仏が共同議長)に委ねることだけを述べている。

 だが、このミンスク・グループは、およそ四半世紀の間、ナゴルノ・カラバフ問題に対して何の解決策も見いだすことはできなかった組織なのだ。

 アルメニアは、ミンスク・グループではなく、ロシアとの間に結ばれている独立国家共同体(CIS)の集団安全保障条約に基づいてロシアの支援を得ようとした。しかしこの条約は、加盟国が攻撃を受けた場合に他の加盟国が守るというもので、ロシア政府は、「今回、戦闘が本来アゼルバイジャン領であるナゴルノ・カラバフとその周辺で起きていて、アルメニア本国ではないことから適用できない」という姿勢をとったのだ。

 ロシアは「ナゴルノ・カラバフがアルメニアと一体である」という、アルメニア側の主張から距離を置いた。そして、今回の衝突で一つ押さえておかなければならない点がある。それは、アルメニア側はアゼルバイジャン領に向けて攻撃しているが、アゼルバイジャン側はナゴルノ・カラバフと周辺のアルメニア占領地域に対して攻撃しているのであって、アルメニア本国を攻撃していない点だ。

 戦闘の舞台となったナゴルノ・カラバフをめぐる紛争には長い歴史があるが、基本的な事実関係だけを押さえておこう。まず、アルメニアとアゼルバイジャン両国の位置関係としては、トルコとイランが接する国境の北、南カフカス地方にこの両国は存在する。

 そして今回戦闘が起きている地域はソ連時代、アゼルバイジャン領内の自治州だったが、住民にはアルメニア人が多かったことから、長年アゼルバイジャン領であることへの不満が住民の中に存在した。
アルメニアとアゼルバイジャンの係争地ナゴルノカラバフのステパナケルトで、砲撃を受けた通りを歩く人々=2020年10月4日(タス=共同)
アルメニアとアゼルバイジャンの係争地ナゴルノカラバフのステパナケルトで、砲撃を受けた通りを歩く人々=2020年10月4日(タス=共同)
 ソ連時代には何とか衝突を押さえ込んでいたものの、これがソ連崩壊により独立の動きが一気に加速し、80年代後半から90年代初頭において、アルメニア(91年独立)とアゼルバイジャン(同年独立)との間に激しい戦争が起きた。いわばソ連崩壊の混乱の中で、92年にはアルメニア側による、アゼルバイジャン人に対する「ホジャリの虐殺事件」なども発生した。

 94年には停戦となったが、アルメニア側がナゴルノ・カラバフの後ろ盾となり、一方的にアルメニア人によるアルツァフ共和国の独立を宣言した。だが、これは国際的には承認されず、結果としてアゼルバイジャン系の住民は多くが難民化し、アゼルバイジャンに逃れた。

 ナゴルノ・カラバフというのは、「山地の」カラバフの意味だが、自治州だった地域周辺のアゼルバイジャン領もアルメニア側が占領してしまい、今日の対立へと至っている。国連は安全保障理事会や総会でも、アルメニアに対し占領を止め、撤退すること、ナゴルノ・カラバフがアゼルバイジャン領であることを安保理や国連総会決議でも確認してきた。