しかし、事態は何も進展していなかったというのが、今回の戦闘の背景である。このあたりの事情は、イスラエルがパレスチナに占領地を拡大していく過程と似た面がある。そのため戦闘が始まって以来、アゼルバイジャンは「占領地を解放すること」を目標に掲げているのだ。

 ならば今回の衝突はアゼルバイジャン側が仕掛けたのかというと、どうもそうとは言えない。アルメニアでは、2018年に「ビロード革命」と呼ばれた民主的な選挙によって、現在のニコル・パシニャン首相の政権が誕生した。政権発足時には、長年の懸案だったアゼルバイジャンとの関係改善にも積極的だったが、1年もたたないうちに、アゼルバイジャンに対する挑発が目立つようになった。

 転機は19年8月5日、彼はナゴルノ・カラバフの主要都市ステパナケルトを訪問し、「アルメニアとナゴルノ・カラバフとは一体だ」と訴えたことだった。これはアゼルバイジャン側にとっては政治的解決の道が閉ざされたことを意味するものだった。そして、今年7月には、北部の国境地帯で両軍の間で衝突が発生し、双方で17人が犠牲となったのである。
 
 8月、英国のBBCは『ハード・トーク』という討論番組にアルメニアのパシニャン首相を招いた。司会者のステファン・サッカーは、かなり厳しい口調で「なぜナゴルノ・カラバフ問題で挑発するのか」を問いただした。首相は「ナゴルノ・カラバフは数千年にわたってアルメニア人の土地だ」と反論したが、司会者は「歴史を尋ねているのではない、今、あなたは何をしようとしているのか?」と畳みかけた。

 しかし、パシニャン首相はそれには答えなかった。そして9月末の、今回の戦闘へと至ることになる。アルメニア側が挑発を繰り返した原因については、政権を掌握した後も経済が好転せず、新型コロナ感染対策の失敗も重なり、焦りがあったとも言われている。

 対するアゼルバイジャン側は、四半世紀以上、不当な占領に対して軍事力による攻勢をかけてこなかった。アルメニアとは以前のセルジ・サルキシャン政権の時代に、具体的成果はなかったものの、政治的解決に向けての交渉を継続していた。その間アゼルバイジャンは、原油と天然ガス開発によって経済力を飛躍的に高めただけでなく、軍の組織改革と装備の拡充を図ってきた。

 03年には病死した父のハイダル・アリエフから世襲による政権移譲でイルハム・アリエフが大統領に就任し、大統領に権力を集中させた。その意味では、アルメニアが西欧の民主国家型であるのに対し、アゼルバイジャンはロシアのプーチン政権に近い。国力については、一言でいえばアゼルバイジャンが圧倒的に勝っていた。
国連総会一般討論でビデオ演説するロシアのプーチン大統領=2020年9月22日(AP=共同)
国連総会一般討論でビデオ演説するロシアのプーチン大統領=2020年9月22日(AP=共同)
 アルメニアは先に述べたように、CISの集団安全保障条約によってロシア軍が5千人規模で駐留しているゆえに安全保障ではロシアを頼りにしていた。少なくとも軍事力の点で、アルメニアが単独で90年代のような戦争に乗り出せば不利なことは分かっていたはずであるし、ロシアが簡単にアルメニアを支援するものと期待していたのであれば、重大な読み違いをしたことになる。ここに、民主的なリーダーとして登場したパシニャン首相の未熟さが表れている。

 戦闘が開始されると、さらに不可解なことが起きた。アルメニアのパシニャン首相に続いて、フランスのエマニュエル・マクロン大統領が突然「敵はトルコだ」と主張したことである。