重村智計(東京通信大教授)

 10月10日に行われた朝鮮労働党創建75周年記念式典で、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が久しぶりに声を出した。しかしながら、異例の演説で、まるで人が変わったような内容だった。米韓の情報機関は、肉声の声紋分析を行っているが、演説は事前録音の放送に口を合わせた「口パク」だった。これを見るに、やはり北朝鮮は工作国家であり、公開情報の裏を読まなければ、だまされてしまう。

 ただ、その北朝鮮も個人崇拝独裁を支えた「唯一領導制」が消え、集団指導体制に変化したようだ。金委員長は演説で、苦しい生活や経済計画が達成できない状況に「面目ない」、「申し訳ない」と述べた。彼は「人民と皆さん、本当にありがとうございます」と、国民に向けた「ありがとう」を12回も繰り返した。

 「人民」とは労働党員で、「皆さん」は大衆を意味する。北朝鮮の指導者は、こんなにも人民思いだったのだろうか。過去の指導者は、このような演説を決してしなかった。それゆえに北朝鮮の指導体制は「唯一領導体制」と呼ばれたのである。ただ一人の指導者が全権を握り、国民を指導する体制だ。

 指導者は全能で無謬(むびゅう)とされ、神のような存在だった。人民と大衆は指導者のためにある存在で、指導者に常に「ありがとう」を伝えてきた。そんな「全能で無謬」な指導者が「申し訳ない」と謝り、国民に「ありがとう」を伝えたのでは「指導者無謬説」が完全に否定される。金委員長は自ら「(自分の)努力と真心が足りないからだ」とまで語った。自ら「唯一領導体制」を否定してしまった。革命的な変化である。

 しかし、元々その予兆はあった。北朝鮮の指導者には、常に「会議を指導なされた」だとか「人民を指導なされた」、「軍隊を指導なされた」の「指導なされた」の定型句が使われた。指導者が全てを「指導する国」だからだ。この「指導なされた」の表現が、今年5月から使われなくなった。「参加なされた」や「司会なされた」の表現に変わったのだ。これでは指導者といえど、多くの幹部の一人にすぎない。

 このため「人が変わったのではないか?」、「唯一指導体制をやめたのではないか?」との臆測が飛んでいた。そうした中での今回の演説は、まさにこの臆測を裏付けたものだった。それまで国民を指導するだけの存在が、突然、国民思いの指導者に変身したのだ。

 演説は「口パク」と言っても、声は出しているようでマイクが拾わないだけのようだった。演説最後の「偉大なわが人民万歳」の部分は、声と口が合わなかった。
平壌で行われたマスゲームの鑑賞に訪れた金正恩朝鮮労働党委員長(右から3人目)。2020年10月12日付の労働新聞が掲載した(コリアメディア提供・共同)
平壌で行われたマスゲームの鑑賞に訪れた金正恩朝鮮労働党委員長(右から3人目)。2020年10月12日付の労働新聞が掲載した(コリアメディア提供・共同)
 映像は、原稿を懸命に読み上げる金委員長の姿を映し出した。読み上げている場所を指で確認しながら、放送に懸命に合わせていた。もちろん、「口パク」が悪いわけではない。むしろ内容が重要だ。演説の途中で言い間違えるのを恐れて、事前録音にしたのだろう。偉大な指導者が言い間違えるわけにはいかないからだ。

 そしてこの金委員長の演説は、多くの秘密の意図を隠している。まず式典の費用を削減し、映像で効果を上げようとした。式典は異例の深夜の午前0時から行われ、以前のような全面中継はなかった。テレビでおよそ2時間にわたる75周年式典の「記録映像」を流した。都合の悪い部分をカットし、国民にアピールする場面を強調している。