防衛研究所に勤務していた16年間は、文字通り「学問の自由」(好きな研究は自由にさせてもらったから、正確には「言論の自由」)とは縁がなかった。というのも論文を外部に発表するには、まじないのように「本論文は、著者個人の意見であり、所属する組織の見解ではありません」との一文を書き添えた上で、数人の事務官が事実上の検閲、押印したのちに所長の決裁印が押されてやっと外部発表ができたからだ。時には書き直しを命じられることもあった。それゆえ志高く持ち、その修正を拒否して若いながら辞職した同僚もいた。

 安全保障研究への風当たりが少し弱まった冷戦終焉後の96年、運よく筆者は大学に移ることができた。それからは誰の許可を得ることなく、大学では自由に研究も発表もできた。しかし、防衛庁に勤務していたときには感じなかった居心地の悪さを感じることもまた、多くなった。研究所にはまず、反自衛隊や反軍の思想を持った所員はいなかった。

 しかし、いわゆる「娑婆(しゃば)」に出ると、そこは平和主義者や護憲派が跋扈(ばっこ)する世界であった。ちなみに、外界を「娑婆」と呼ぶのは次のような背景がある。現在東京・市ヶ谷の防衛省敷地内にある防衛研究所は、かつて中目黒の塀で囲まれた旧海軍研究所(現防衛装備庁艦艇装備研究所)の跡地の一角に、ほかの自衛隊の教育、研究施設と共にあった。

 正門が古い刑務所の門に似ていたためにヤクザの出所シーンの撮影に何度か使われたことがあり、冗談のように研究所を刑務所に見立て、筆者たちは外の世界を「娑婆」と呼んでいた。もっとも自衛隊そのものを自嘲気味に「格子なき牢獄」に見立てる自衛官も当時は多かった。

 とはいえ、それなりに「ムショ暮らし」は楽しかった。反面、「出所後」の筆者は護憲派からはまるで「前科者」のように遠ざけられた。「前科者」の筆者は、果たして「日本学術会議」が言う「科学者コミュニティー」の一員として認めてもらえるのだろうか。

 このような経歴のゆえに、筆者には今回の日本学術会議の任命問題は全く別世界の話だ。ただ、いささか気の毒に思うのは会員に「任命されなかった」研究者ではなく、会員に「任命された」研究者のことである。これで防衛研究所時代の筆者と同様に特別職国家公務員として、晴れて政府お墨付きの「御用学者」としてのレッテルを張られることになったからである。

 尚、早稲田大教授の長谷部恭男氏は毎日新聞の記事にて「もの言わぬ学者は『政府のイヌ』とみなされる」とまで言い切っている。それゆえ会員に任命された研究者は、もし「政府のイヌ」になりたくなければ「もの」を言い、その上で「学問の自由」を主張し、不服があれば首相の任命を拒否してはどうだろうか。ただ任命されなかった研究者が政府に「任命せよ」と迫るのは、「御用学者」、「政府のイヌ」として認めろと言っているようで滑稽ですらある。
衆院憲法審査会に出席した参考人の早稲田大の長谷部恭男教授=2015年6月
衆院憲法審査会に出席した参考人の早稲田大の長谷部恭男教授=2015年6月
 今回の学術会議の問題は、実のところ、任命うんぬんにあるのではない。問題の本質は「学問の自由」における「自由」の部分にあるのではなく、「学問」の退廃にこそ原因がある。とりわけ人文・社会などいわゆるリベラル・アーツの退廃が21世紀になってから著しい。その背景には、教育のグローバル化や教育予算の減少、そして文科省による管理行政がある。