教育のグローバル化で、大学はGPA(世界標準の成績評価指標)の導入や多言語教育、留学制度の拡充などに取り組み、国際的な大学間競争で生き残りを図ろうとしている。さらに文科省は、予算の集中と選択で教育や研究に競争原理を持ち込んだ。そのため各大学は、予算や補助金をめぐって激しい競争を強いられる。

 そのため、学生からあまり人気のない哲学、思想、政治系の教育・研究分野は競争に劣後していかざるを得ない。だからといって、物理学や生物学など基礎系の自然科学がそれらの学問に優越するわけではない。すべての学問の根幹をなす哲学・思想が退廃すれば自然科学も衰退する。自然科学が衰退すれば、科学技術の発展もない。そして哲学・思想の退廃は政治の退嬰(たいえい)をも招く。過去の国家や文明の栄枯盛衰を見れば明らかだが、政治の退嬰は社会の混乱を、社会の混乱は国家や文明の衰退を招く。

 学問の退廃は、安保法制をめぐる政治的、社会的混乱を見れば明らかだ。安倍晋三政権時、単に「アベ嫌いか」あるいは「アベ好きか」という感情で社会が二分化され、まともに国家理念や政治思想に基づく安全保障論議がされることはなかった。

 反アベ派は宗教的、教条的な平和主義を振りかざし、安倍首相に悪口と罵詈(ばり)雑言を浴びせるばかりだった。他方、親アベ派も現実を無視した反中「現実主義」を声高に叫び、まさに中江兆民が著した『三酔人経綸問答』の「東洋豪傑君」のようだった。一方で野党は共闘もできず、党利党略に明け暮れた。安保法制をめぐる国論の二分化は、戦後日本が戦争研究を忌避し、思想的土台を欠いた結果である。

 人が戦う原因として「利益」「名誉」「恐怖」の3つを挙げた古代ギリシャの歴史家トゥキュディデス。弱肉強食のルネサンス期イタリアにて生き残る術を説いた『君主論』の著者ニッコロ・マキャベリ。ピューリタン革命下にて社会の混乱に直面し、万人の闘争状態からの社会契約論を訴えたトマス・ホッブズ。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」と『戦争論』にて唱えたプロイセンの将軍カール・フォン・クラウゼヴィッツの思想など、これら古来からの戦争研究は哲学・思想研究だということを「平和主義者」は今一度思い起こすべきである。

 結局、日本学術会議の任命問題は、政治においては民主主義の問題である。フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーは、共同体(国家)の成員である人々が総体として持つとされる意志を「一般意志」と説き、各個人の意志は「特殊意志」と定義した。

 学術会議側は「科学者コミュニティー」という限られた人々の「特殊意志」を、あたかも全国民の「一般意志」であるかのように自称し、とうの昔に雲散霧消した「学問の自由」を錦の御旗として反政府闘争をあおっている。
日本学術会議会員の任命拒否問題を受け、プラカードを手に抗議する人たち=2020年10月6日、首相官邸前
日本学術会議会員の任命拒否問題を受け、プラカードを手に抗議する人たち=2020年10月6日、首相官邸前
 他方政府は、これまた国民の代表という「全体意志」を振りかざし、民主主義の根幹である説明責任を果たそうとしない。学術会議側も政権与党も、いずれも民主主義の衰退に手を貸し、左右を問わず権威主義の台頭を招いている。

 「学問の退廃、ここに極まれり」である。