重村智計(東京通信大教授)

 世界の指導者の中で、トランプ米大統領再選を誰よりも期待したのは、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長だった。それだけに、バイデン前副大統領の事実上の勝利に対して、人一倍穏やかではいられないだろう。

 米大統領選2日前の11月1日、北朝鮮の労働新聞は1面トップ記事で、「日本人民との友好親善活動を能動的に展開」との金委員長の「お言葉(マルスム)」を掲載した。異例の報道で、明らかに菅義偉(すが・よしひで)政権へのメッセージだった。これに対し、日朝接近を警戒した韓国の朴智元(パク・チウォン)国家情報院長が急遽訪日しており、韓国側が衝撃をもって受け止めたことを表している。
 
 また、北朝鮮の朝鮮中央通信は、同日午前6時、異例の報道を行った。この日に開かれる在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の「分会代表者(全国)大会」に向けた金委員長の「お言葉」を報じたのだ。

 分会代表者大会は初の全国大会で、同日午後1時から開催予定だった。金委員長の「お言葉」は、最大の機密事項で式典の前に公表されるのは、前代未聞である。そもそも朝鮮総連の記事は、1面トップには載らない。

 この異例の報道にすぐに反応したのは、韓国の聯合ニュースや中央日報だった。「金正恩委員長、朝鮮総連に『日本国民と友好親善活動すべき』」と、大きく報じた。反日の文在寅(ムン・ジェイン)政権にとって衝撃で、北朝鮮が「日朝友好に動き出した」と感じたのだろう。

 かなり長文の「お言葉」の中から、韓国メディアは「日本との友好親善」の言葉を探し出した。日本の新聞、テレビは全く報じなかっただけに、韓国はさすがと言うべきか、何も反応しない日本メディアの判断力欠如を恥ずべきか。見方は、さまざまだ。

 韓国メディアは、北朝鮮が日本に関係改善のメッセージを送った、と受け止めたのだ。韓国政府や文大統領を通さずに、日本政府にメッセージを送った事実は、繰り返すが、衝撃以外の何ものでもない。

 この「お言葉」報道には、別の意味も隠されていた。朝鮮総連の許宗万(ホ・ジョンマン)議長のメンツが潰れた。通常は、金委員長の「お言葉」は、許議長に届けられ、許議長が大会の最後に読み上げるのが慣例だからだ。

 平壌はそれを許さず、第一副議長に昇進したばかりの朴久好(パク・クホ)氏に、代読を命じたのだった。北朝鮮の指導者は、これまで何回か「日本国民との友好親善」を指示してきた。ところが、朝鮮総連は従わず「お言葉」を無視し隠した、との疑いを平壌は抱いている。

 有名なのは、1999年に金正日総書記は「金日成主席、金正日総書記の写真を朝鮮学校に掲げる必要はない」「民族服で登校しなくてもいい」「本国の真似事をしなくていいから、独自の取り組みをせよ」と、「お言葉」を伝えたが無視され、実行されなかった。

 平壌は、こうした許議長の対応に不満で、9月5日の総連中央委総会に「お言葉」を送り「(末席の)朴久好副議長を第一副議長に昇格。許議長の後継者は、朴久好」と命じた。朴氏は、許宗万議長の反対派として知られていた。
北朝鮮・平壌で朝鮮労働党政治局会議を司会する金正恩委員長=2020年10月(朝鮮中央通信=共同)
北朝鮮・平壌で朝鮮労働党政治局会議を司会する金正恩委員長=2020年10月(朝鮮中央通信=共同)
 許議長は、この中央委総会の直前に別の副議長を呼び、「お前を後継者として発表する」と伝えていた。この情報が平壌に伝わり、阻止するための「朴第一副議長任命」の「お言葉」が伝えられたという。議長、副議長を任命する権限は、金委員長にしかないにもかかわらずだ。

 背景には、長年に及ぶ平壌と許議長の虚虚実実の駆け引きがあった。北朝鮮は、何度も許議長の更迭を考えたが、実行できなかった。公開されると困る秘密を、許議長が握っていたからだ。