第二問  1946年の実状の一例


 アメリカの日本専門家の日本理解がどの程度であるか、アメリカ人が日本について抱くイメージがどのようなものであるかは、アメリカの最大手の歴史教科書の日本についての記述からも察しがつくであろう。まことに薄ら寒いものである。現在ですらもそのような日本理解であるとするならば、日本の敗戦直後、アメリカ人は戦争をした日本をどのように理解していたか。その理解はどの程度妥当でどの程度不当であったのか、ここで冷静に考え直してみたい。

 いま仮りに大学入試に次の問題が出たとする。

a、第二次世界大戦に際して日本のA級戦犯を含む極めて少数の人間が自己の個人的意志を人類に押しつけようとした。
b、日本のA級戦犯は文明に対し宣戦を布告した。
c、 彼等は民主主義とその本質的基礎、即ち人格の自由と尊重を破壊せんと決意した。 
d、彼等は人民による人民のための人民の政治は根絶さるべきで彼らの所謂「新秩序」が確立さるべきだと決意した。
e、彼等はヒトラー一派と手を握った。

 日本の受験生にも現政権の大臣にも野党の議員にも答えてもらいたい。アメリカ人の受験生ならば五つの質問にことごとく○をつけるであろうが、皆さまはいかがお答えか。確実に○がつく正解は日本の指導者が「ヒトラー一派と手を握った」という歴史的事実だけではあるまいか。だが連合国側は日本の東條英機以下少数者は「自己の個人的意志を人類に押しつけんとした」として非難した。米国側の主張を正確に伝えるために冒頭部分は英文も引用する。

 A very few ……decided to force their individual will upon mankind. They declared war upon civilization. They were determined to destroy democracy and its essential basis─freedom and respect of human personality.

東京裁判の首席検察官、ジョセフ・キーナン
 皆さまはこのような主張はどこかピントがずれている、とお感じであろう。だがしかし実はこれが1946年6月4日、東京裁判の冒頭でキーナン首席検察官が日本の指導者を論難した陳述なのである。侵略戦争非難だが、もし事実この通り少数の者の恣意的な決定であったならば日本の開戦時の指導者は悪玉だ、断罪されて当然だ、ということになる。だが昭和21年、中学生の私は「難癖をつけられた」と感じた。平成27年の今も宣戦布告に同意して署名した東條内閣の全閣僚が揃ってこんな誇大妄想狂だったとは思わない。私ばかりか米国でもまともな日本研究者はもはやそうは思っていないであろう。「キーナンの主張はおかしい」と言ったら「ギャング退治で名をはせた検事だが日本の事は何も知らなかった」とプリンストンのジャンセン教授が釈明したことがある。ヒトラーは自己の個人的意志を人類に押しつけようとしたと論難することはできるだろう。ユダヤ人の絶滅を図ったナチス・ドイツが文明に対し宣戦を布告したといえるだろう。彼らについては民主主義とその本質的基礎、すなわち人格の自由と尊重を破壊せんと決意した、といえるかもしれない。日本について知ることの少ないキーナン以下は日本を東アジアにおけるナチス・ドイツに見立てていたからこそこうした非難を口にすることができたのである。

 戦争中、米国では敵愾心を煽ろうと反日宣伝を執拗に繰り返した。正確、不正確はもはやたいした問題ではなかったのだろう。だがそうして拵えられた悪者としての昭和天皇や東條英機や山本五十六らに代表される日本イメージは当時の人の脳裡に刷り込まれたばかりか再生産されて今も米国人の根本的な日本認識となっている。キーナン検事の論告が多くの日本人を納得させないのは、キーナンが戦時中の連合国側の反日プロパガンダを鵜呑みにしていたからである。

 東條英機は「日本のヒトラー」といえるのだろうか。20世紀の三大独裁者といえばヒトラー、スターリン、毛沢東が後世に記憶されるに相違なく、東條はそのような大物ではない。その差を認識しなければならない。英国で教育を受け戦時下の日本で生活し軍国日本も知り、ナチス・ドイツも知るドイツ人イエズス会士ロゲンドルフはニュルンベルク裁判を模して開かれた東京裁判について、「(積極的に戦争への道を選び組織的にユダヤ人虐殺を行なったナチスの指導者と同様)日本の指導者を、戦争を計画し故意に残虐行為を行なったとして裁判にかけたのは、実にばかげたことだった。連合軍は自分たちで作り上げたウソの反日プロパガンダまでも信じ込むようになったのである」(to put on trial Japanese leaders for a planned war and wilful atrocities was folly. The Allies had become victims of their own propaganda)(注2)と述べている。連合国側は日本の実態についてよく知らぬまま、ナチス・ドイツとの類推で同じような罪をなすりつけ日本帝国を裁こうとしたのは誤りであった、と指摘したのである。

史実に基づく歴史の修正


 しかし正義感だけが先行して歴史の実態を知らない人の脳裡には第二次世界大戦はデモクラシー対ファシズムの正義の戦争という構図ができあがって固定した。内外の左翼の歴史学者もそう言っている。東京裁判を被告の側からではなく検察の側に肩入れして報道した(ないしは報道することを余儀なくされた)日本の大新聞もその見方に同調して、おかしなことにそのまま今日におよんできた。

 するとどうなるか。それを口実に北方四島が露領は当然だ、第二次大戦の結果だとロシアはうそぶく。しかし米国と組んで日本と戦ったソ連や中国が人格の自由を尊重するデモクラシーといえるかどうか。米国がソ連や中国と組んだのは敵の敵は味方だったからだろう。その露中が今年は共同で戦勝七十年を祝おうとし両国は「歴史の修正は許さない」と言っている。

 問題は修正主義にも色々あることだ。この点に在日米国大使館も特派員も、もし本席においでなら、とくに注意してもらいたい。ナチス・ドイツが正しかったという修正主義は狂気の沙汰だ。私はまた軍国日本がすべて正しかったと主張するような修正主義は認めない。今の日本には戦後の日本に不満を抱くあまり昔の戦前の日本を良しとするような口吻をもらす人がいるが、つまらぬ人たちである。昭和十年代、解決の目途も立たぬまま大陸で戦線を拡大した軍部主導の日本は愚かだった。ただしだからといって勝者の裁判で示された一方的歴史解釈に私たちが従う必要はあるのか、といえばそれはないと考える。