第三問  1941年秋の日本挑発


 ハル・ノートをつきつけられて開戦に踏み切った日本を「狂気の侵略戦争」といえるか。それははなはだしく疑問である。ここでまた入試に次の問題が出たとする。

一、1941年11月26日、ルーズベルト大統領とハル国務長官は日本に中国とインドシナから軍隊と警察力の全面撤退を求めた。(  )
二、 重慶の国民政府以外の政権、いいかえると満洲国や汪兆銘政権の否認を求めた。(  )
三、日独伊三国同盟の否認を求めた。(  )
四、これは世界外交史上稀に見る挑発的な要求であった。(  )
五、イタリアのチアノ外相は1941年12月3日、日本大使から日米交渉が行き詰まったと聞かされ、この事態を説明して「アメリカ国民を直接この世界大戦に引込むことのできなかったルーズベルトは、間接的な操作で、すなわち日本が米国を攻撃せざるを得ない事態に追いこむことによって、大戦参加に成功した」と日記に書いた。(  )
 
 答えはすべて○である。念の為にハル・ノートの要旨を英文で問題に書いておく。

1, Immediate and unconditional withdrawal of all Japanese military, naval, air and police forces from China and Indo-China.
2, Non-recognition of any regime or government in China than the Chanking Government.
3, Abrogation of the Tripartite Pact.

 ハル・ノートはこのような無法なものであった。そのことを受験生が知らないのも困るが、多くの内外の新聞人も在日大使館員も日本の皇族や政治家も知らないのでは困る。現に次代民主党を担うであろう細野豪志氏などは修正主義の名の下にあらゆる歴史の再解釈に拒否反応を呈している。だがそのような民主党では日本国民の支持は得られまい。軍国日本の大失策の数々を認めた上で、なおかつ戦勝国側の歴史解釈に異議あることを言い、日本を東洋におけるナチス・ドイツと類推する理解の正しくないことをきちんと説得してこそ政治家や学者の責務だと私は思う。その際、外国語でも納得させることが大切だ。本日の講演に英語版を用意させたのはそのためである。過去の歴史は正々堂々と修正せねばならない。

 ただし注意せねばならぬのは、歴史の正義不正義を測る上でタイム・スパンの問題があることである。

 一日の単位で測るなら、ハワイ奇襲攻撃をした日本に非があるように見える。月の単位で測るなら、1941年11月26日、ハル国務長官が日本側に渡したハル・ノートは世界の外交史上でも稀に見る非道な挑発的なものである。我慢しきれなくなった日本が先にアメリカを攻撃するだろう。攻撃されたらそれを口実に孤立主義的だったアメリカ世論が変わるから、それで米国を参戦させることで対枢軸国戦争に踏み切る、というルーズベルトの計算。それは日本の同盟国のイタリアの外務大臣にもわかった。しかし年の単位で測るなら、シナで4年間、解決の目途も立たぬまま戦線を拡大し、占領地の民衆に被害を与え、フランス領インドシナにも進駐した軍国日本の行動がすべて正しかったとはよもや言えまい。大正から昭和にかけての日本には、明治憲法を改正し、首相に権力を集中させるような政治的イニシアチヴは出なかった。自分自身で憲法を改正する能力のない日本国民であったからこそ自分たちの力で軍部を上手にコントロールできなかったのである。シナ事変も解決できぬまま日本は「自存自衛のため」戦争に突入せざるを得なくなった。

 戦争はそのように日本内部の問題もあったが、日本人が勇戦奮闘したことについては、それだけの心理的理由はあった。年の単位でいえば問題のある軍国日本であった。だが世紀の単位で測るなら、白人優位の世界秩序に対する日本を指導者とする「反帝国主義的帝国主義」の日本の戦争ははたしてただ一方的に断罪されるべきものか。私は小学生の時に香港が陥落して英国の「東亜侵略百年の野望」がついに破れたという歌をうたった。いわゆる「大東亜戦争」にアジア解放戦争という一面がなかったとはいえない。和辻哲郎が昭和十八年に書いた『アメリカの国民性』にも、東條英機の遺書にもそのような視点は示されている。

世紀の単位で測る危険性


 しかし私は歴史の正義不正義を測る上でのタイム・スパンに世紀という単位を持ち出すのは誤りがちで良くないのではないかと考える。この世紀の単位で測ることの危険性は中華人民共和国の習近平主席の就任演説の中にも見てとれる。
 
〈中国の夢を実現しよう。そのためには中国的特色のある社会主義の道を進まねばならぬ。それは改革開放以来三十余年実践してきた偉大な道であるばかりか、中華人民共和国成立以来六十余年続けて探し求めてきた道である。それはアヘン戦争以来百七十余年の深刻な歴史発展の中から総括して得られた結論であるばかりか、中華民族五千余年の悠久の文明を伝承する中から生まれた道である。歴史的淵源は深厚に現実的基礎は広範である。中華民族は非凡な創造力に富む民族であり、偉大な中華文明を建設してきた。この体制に自信をもち、勇気を奮い、前進せねばならない。中国の夢は民族の夢である。中国精神を弘揚、愛国主義を以って核心となし、全人民心を一にして中国の夢を実現せねばならない。〉

 などと言っている。歴史を鑑にして自分に都合のいいことをいう人はどこの国にもいるが、自己中心的発想の強いシナにおいてとくに甚だしい。

ハル・ノートで日本を挑発したコーデル・ハル国務長官
 紀元二千六百年を祝賀した昭和前期の軍部主導の日本が夜郎自大となり、世界の中の日本をよく認識しなかったからこそ軍国日本は世界を敵にまわす破目に落ちいった。ルーズベルトの術中にはまったのは愚かであった。ではどのようにすれば良かったのか。東條内閣はハル・ノートを世界に向けて公表して米国の要求はこのように不当なものである、という一大宣伝をすれば、米国内にもルーズベルト政権批判の声は高まって米国の対日戦宣戦布告を妨げる要素となり得たかもしれない。しかし当時の内閣の責任ある閣僚としては誰一人そのような奇策は提案し得なかった。日本は昔も今も、国際政治の宣伝戦でも歴史戦争の教科書合戦において劣勢に立たされている。

正邪の判断基準


 交戦国民が戦争責任者について敵側と見方を異にするのは当然だが、私は日本人として、わが国が先にハワイ真珠湾を攻撃したからと言って、それを口実に降伏意志を外交ルートを通してすでに示しつつあった日本に米国が原爆を投下したことは、戦争犯罪の最たるものと考える。日本海軍はハワイ空襲で攻撃の的を軍艦、軍用機、軍事施設に限った。それだから、死んだアメリカ市民は68人だった。広島長崎の一般市民の死者はその数千倍に及ぶ。それを考えるが良い。爆撃の正当、不当は軍人と市民の殺傷比によって示される。私は米国でも英語講演や英語著書で繰り返しその点にふれた。私はライシャワー教授の講演のディスカサントに招かれて、ライシャワー教授以下のアメリカの日本研究は優れているけれども、しかしそれをもってしても打ち克てないものがある。それは日本が真珠湾を攻撃した直後にアメリカの反日プロパガンダで創られた日本人についての悪いイメージだ。それはアメリカ人の集合意識に深くしみこんでいる。ここにおられるアメリカ人の皆さまも人によって見方は違うと思うけれども、何人かの皆様は、日本人は狡くて(sly)、卑劣で(sneaky)、二心がある(treacherous)、いつ裏切るかわからないとお考えかもしれないが、しかし別様の考え方もできるので、すべては何を比較の基準にするかによって一転する。私にとりあらゆる空襲は、アメリカへの空爆であれ、日本への空爆であれ、ドレスデンの空襲であれ、ハノイ爆撃であれ、爆撃の正当、不当は軍人と市民の殺傷比によって示されると考える。
 
 Everything depends so much on the measure of comparison. To me all air-raids─against the United States or against Japan, against Dresden or against Hanoi─should be measured by the ratio of casualties suffered by civilians and casualties suffered by the military. If we apply this measure of comparison to the Japanese attack on Pearl Harbor, you will be surprised by the extremely low ratio. The Japanese Naval Air Force killed very few American civilians. The target was definitely military. If Americans could be reminded of this aspect of the attack, Pearl Harbor would be remembered in a different way.
 
 1978年のことで反ベトナム戦争の気分がまだ強く残っていたから、インディアナ大学でこのように講演したら拍手喝采鳴りやまず、アメリカの学会誌にも掲載され、日本の新聞にも報道されて面目を施したが、しかしそれ以後、一部のアメリカ人教授からは平川はナショナリストと目されたようである。

 なお一言書き添えると、黄色人種の日本に先に手を出させることで米国民を怒らせて米国を参戦させ、連合国を勝利に導いたルーズベルトは悪辣だが偉大な大統領であった、というのが私の歴史認識である。ユダヤ人の絶滅を企んだナチス・ドイツを破るためには米国の参戦は不可欠だったからである。

 そしてかくいう私は、時に率直にアメリカ批判はするけれども、日米同盟の支持者である。私はまた現在の、国内的に格差大国と云う矛盾を孕む中国を盟主とする東アジア共同体に加わる気持はない。さらに付言すれば、今日の日本は鎖国して自活はできない。精神的鎖国ともいうべき一国ナショナリズムを説くのは不可であり一国平和主義は不可能である。