2020年11月28日 14:49 公開

ジェイムズ・ギャラガー、保健・科学担当編集委員

10年かかるワクチン開発を10カ月で行う。設計や臨床試験、製造で近道はできない。

この2つの文章は一見、矛盾している。英オックスフォード大学がこのほど急ピッチで開発した新型コロナウイルスのワクチンについて、こんなにあっという間にできたものの安全性は大丈夫なのかと、疑念が出ているのも、そのせいだ。

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オックスフォード大のワクチンがなぜこんなに早く作れたのか。そのあらましを説明する。

幸運と、そして傑出した科学的才能。エボラ出血熱のアウトブレイクと、チンパンジーの鼻風邪。こうしたものが、その背景にある。そして研究チームの置かれている状況は、貯金ゼロの状態から出発して、やがてチャーター機を借りられるまでに一変した。

何年も前から始まっていた

オックスフォードのワクチンについて最大の誤解は、パンデミックが始まってから開発に着手したというものだ。

2014~2016年に起こったエボラ出血熱のアウトブレイクは大惨事だった。対応は遅れに遅れ、1万1000人が亡くなった。

オックスフォード大で今回の新型ウイルス・ワクチンの開発に携わったサラ・ギルバート教授は当時を振り返り、「世界はもっと上手に対応すべきだった」と語った。

エボラ対策の遅れに非難が集まる中、次の大きなパンデミックに向けた検討が始まり、計画が作られた。何が脅威となり得るかというリストには、既知の感染症の次に「感染症X」という不吉な名前が記載された。「感染症X」。つまり、新しい未知の感染症。世界の意表を突くような感染症のことだ。

オックスフォード大学には、1796年に世界で初めてワクチンを開発したエドワード・ジェンナーにちなんだジェンナー研究所があり、世界有数の専門家が集まっている。そしてこの研究所が、未知の敵を倒すための戦略を練り上げた。

ギルバート教授は、「できる限り最短時間で人にワクチンを投与できるよう、本当に素早く対応するにはどうしたらいいか、計画していた」と話す。

「この計画はまだ終わっていないが、それでもよくやったと思う」

不可欠だった技術

ジェンナー研究所の計画の中心には、「プラグ・アンド・プレイ(起動後すぐに作動すること、元はコンピュータ用語)」と呼ばれる、画期的なワクチンの仕組みがあった。素早く柔軟で、未知の病気に対応するにはうってつけだった。

幼少期に受ける予防接種で使われる従来のワクチンは、弱体化、もしくは不活化したウイルスや、その一部を体内に投与する。ただし、こうしたワクチンは開発に時間がかかる。

オックスフォード大の研究者はこれに代わるものとして、「チンパンジー・アデノウイルス・オックスフォード1(ChAdOx1、チャドックス1)」を作り出した。

チンパンジーが感染する普通の風邪のウイルスを操作し、あらゆる感染症に対応できるワクチンの建材となるようにした。

COVID-19以前には、インフルエンザやジカ熱、前立腺がん、チクングニア熱などの治療に、「チャドックス1」をもとにしたワクチンを計330人が投与されている。

チンパンジーから採取した風邪ウイルスは遺伝子操作されているため、人間が感染することはない。ここにさらに、治療したい病気の遺伝子コードを組み込むことでワクチンが完成する。対象の病原体が体内に入れば、免疫系が反応して攻撃する仕組みだ。免疫反応を引き起こすものを「抗原」と呼ぶ。

チャドックス1は言わば、ミクロの世界の、優秀な郵便配達人のようなものだ。科学者は治療したい病気によって、チャドックス1に託す荷物、つまり抗原を変えるだけでいい。

ギルバート教授は、「(抗原を)入れたら、あとはおまかせ」と話した。

2020年1月1日

大みそかの行事がひと段落して、世界の大半がのんびりと過ごしていた2020年1月1日、ギルバート教授は中国・武漢で「急速に広まっている肺炎」に関する気がかりな情報に気づいた。

それから2週間もしない内に、ウイルスは特定され、人から人へ感染するかもしれないと疑われるようになっていた。

「私たちは感染症Xに向けて備えて、感染症Xを待ち構えていた。私は、これがそうかもしれないと思った」と、ギルバート教授は言う。

この時点でオックスフォード大のチームは、自分たちの研究がいずれどれほど重要なものになるか、分かっていなかった。まずはワクチンがどれだけ素早く作れるのか試すため、そして「チャドックス1」技術の実用性を示すために、作業を開始した。

ギルバート教授は、「研究プロジェクトだけで終わるかもしれない、私たちがワクチンを作っても、そのころにはウイルスは消えてなくなっているかもしれないと、そう思っていた。実際はそうはならなかった」と語った。

奇妙な幸運

こう言うと奇妙な、ほとんど不謹慎な発言にさえ思えるが、今回のパンデミックの原因がコロナウイルスだったのは、不幸中の幸いだった。

コロナウイルスは過去20年の間に2度、動物から人間へと感染範囲を広げようとした。2002年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、そして2012年の中東呼吸器症候群(MERS)だ。

つまり、科学者らはこのウイルスの生物学的特徴や活動の仕方、そして「スパイクたんぱく質」がウイルスの「アキレス腱」、つまり弱点だということも、すでに承知していたわけだ。

オックスフォード大のワクチン開発チームの一員、アンドリュー・ポラード教授は、「すでに研究が相当進んでいる段階から、(ワクチン開発を)始めることができた」と話した。

スパイクたんぱく質とは、ウイルスが人間の細胞に入り込むため、扉を開ける鍵のようなものだ。研究チームは、この「スパイク(くさび)」を攻撃するよう免疫系を訓練するワクチンが作れれば、成功の確率はかなり高くなると承知していた。

加えて研究チームはすでに、スパイクたんぱく質を標的とする、チャドックス1を使ったMERSワクチンを開発済みだった。オックスフォード大学のチームは、ゼロからスタートしたわけではなかったのだ。

「これがもし全く未知のウイルスだったら、状況はかなり違っていたはずだ」とポラード教授は言う。

また、コロナウイルスによる感染が短期的なことも運が良かった。感染期間が短いとはつまり、人体がウイルスを倒せるということで、ワクチンはその自然の治癒プロセスを後押しすればいいということを意味した。

もしこれが、たとえばHIVウイルスのように、人体が治すことのできない長期的、慢性的な症状を引き起こすものだった場合、ワクチンが効く可能性は低かった。

1月11日になると、中国の科学者たちが新型ウイルスの遺伝子コードを公表し、世界と共有した。

これによってオックスフォード大のチームには、COVID-19ワクチン開発に必要な材料が全てそろった。

あとはチャドックス1に新型ウイルスのスパイクたんぱく質の遺伝子情報を挿入すれば、ワクチンはできる。

お金、お金、お金

ワクチン開発には非常にお金がかかる。

「最初のころは、かなりつらかった。銀行口座の残高がまったくない時期があった」とポラード教授は振り返る。

大学からの資金提供もあったが、オックスフォード大のチームは、世界中の競争相手にはない大きな強みがあった。

オックスフォード市内には大学のチャーチル病院がある。その敷地内に、独自のワクチン製造工場を持っているのだ。

「他のすべての製造を中断して、このワクチンを作るよう指示することもできた」とポラード教授は言う。

研究を進めるには十分な施設だが、大規模な臨床試験に必要な大量のワクチン製造には足りなかった。

ギルバート教授は、「4月までは資金集めが自分の主な仕事だった。今すぐ資金援助をしてくださいと、ともかく大勢に頼み込んだ」と話した。

やがて新型ウイルスの感染が世界に広がり、各国が次々とロックダウンに突入すると、資金が入り始めた。ワクチン製造拠点はイタリアの施設に移され、ロックダウン中の欧州でいったいどうやって物資を運ぶのかという悪夢のような問題を含め、治験中断につながったかもしれない諸問題は、資金が解決した。

「イタリアにあるワクチンが翌朝にはイギリスのクリニックで必要で、飛行機をチャーターする羽目になったこともある」と、ギルバート教授は言う。

華やかではないが重要な検査

品質管理がプロジェクトの花形になることはない。しかし実験的なワクチンを大勢に投与するには、それが十分に高い基準に沿って作られているという確証が必要だ。

製造過程のひとつひとつで、ワクチンがウイルスやバクテリアに汚染されていないかを確認する必要があった。かつて、これはとても時間のかかる作業だった。

「どうやったら時間を短縮できるか考慮しなければ、仮に3月にワクチンが出来上がっていても、6月まで治験を始めなかっただろう」

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結果としては、動物実験で安全性が示された後、オックスフォード大のチームは4月23日から臨床実験に入ることができた。

臨床試験に次ぐ臨床試験

オックスフォード大のワクチンはそれからというもの、通常のワクチンと同じ臨床試験の段階を通ってきた。

臨床試験には次の行程がある。

  • 第1相:少人数を対象に行う治験で、安全性を確かめる
  • 第2相:安全性を確認する検査を、さらに大人数で行う。また、ワクチンが、必要な反応を引き起こしているかどうかを確かめる
  • 第3相:数千~数万人を対象とした大規模な治験で、実際に病気を予防するかどうかを確かめる

オックスフォード大のワクチンはこれまでに全ての段階を進み、第3相には3万人の志願者が参加。開発チームは十分なデータを得られた。

通常は、各行程の間に何年もの待機時間が過ぎていくが、今回はそうはならなかった。

ケンブリッジ市内で治験に携わったマーク・トシュナー医師は、ワクチン開発には10年かかるものだという考えは誤解を招くと言う。

「その間、何も起きていないことがほとんどだからだ」と、トシュナー氏はBBCに話した。

こうした期間には、治験の認可申請書を書いたり、それが拒否されたり、書き直したり、認可が下りたり、製造業者と交渉したり、参加者を募ったりするプロセスに使われているという。一つの段階から次の段階に進むのに何年もかかる場合もある。

「時間がかかるのは、その必要があるからでも、その方が安全だからでもなく、現実の世界とはそういうものだからだ」

今回のワクチンは異例のスピードで開発と治験が進んだが、安全性は犠牲にならなかった。代わりに、この臨床試験を実現させるため、科学界から前例のない後押しがあり、大勢が進んで治験参加に志願し、そしてもちろん資金援助があった。おかげで、通常のワクチン開発にはつきものの遅れが、消し飛んだというわけだ。

かと言って、今後何か問題が絶対に起きないということではない。医療研究に「絶対」の保証はないからだ。たとえばワクチンの副作用は通常、そのワクチンが投与された直後に、あるいは数カ月後に発覚する。数百万人が接種した段階で、異例の問題が出来する可能性もある。しかし、これは過去のあらゆるワクチンに言えることだ。

今後のプロセスも急ピッチで

COVID-19をめぐっては、ワクチンの認可取得と製造のプロセスも劇的にスピードアップされている。

イギリスではすでに400万回分のワクチンが製造され、供給を待つばかりだ。オックスフォード大の開発チームは製薬大手アストラゼネカと提携し、臨床試験の結果が出る前から製造を開始した。その時点では賭けだったが、結果的に大成功だった。

通常は臨床試験の終了を待ってから動く規制当局も、今回は早くからワクチンに関わっている。

イギリスの医薬品・医療製品規制庁(MHRA)はオックスフォード・ワクチンの安全性や製造基準、有効性について「逐次審査」を実施してきた。この結果、ワクチンの使用認可の判断は通常より早く判明することになる。

オックスフォード大のワクチンは、ファイザーやモデルナのワクチンと同様、世界中が必死の思いで待ち望んでいる中、記録的な速さで出来上がったというわけだ。

(英語記事 Oxford vaccine: How did they make it so quickly?