2020年11月30日 12:31 公開

サッカー界の伝説的選手だったディエゴ・マラドーナさんが亡くなって4日たった29日、アルゼンチンの検察当局は、マラドーナさんの主治医を過失致死の疑いで捜査していると発表した。

ブエノスアイレスの警察は29日朝、マラドーナさんが手術後に十分な治療を受けなかった疑いがあるとして、レオポルド・ルケ医師(39)の市内の自宅とクリニックを計50人態勢で捜索した。

当局によると、警察はコンピューターや携帯電話、医療記録などを押収したという。

マラドーナさんは自宅で術後の回復につとめていた中、心臓発作で60歳で死去した

ルケ医師は訴追はされていない。一切の不法行為を否定している。


マラドーナさんは今月に入って、硬膜下血腫の手術に成功。アルコール依存症の治療を受ける予定だった。

マラドーナさんの娘たちは、投与された薬物について詳細を明らかにするよう求めている。

浮上した疑い

マラドーナさんの死去をめぐっては、手術後の自宅での回復療養が、一定の条件を満たしていなかった疑いが浮かんでいる。例えば、「薬物乱用が専門の」看護師らによる24時間態勢の対応や、呼び出しに応じる医師らの待機、除細動器を備えた救急車の準備などだ。

当局は、ルケ医師がマラドーナさんの自宅療養にどう関わったかを明らかにしたいとしている。

医師が会見

ルケ医師は29日、記者会見で涙を流すなど感情をあらわにしながら、友人だったマラドーナさんの治療で全力を尽くしたと主張した。また、マラドーナさんがこのところひどく悲嘆していたと述べた。

記者団に対し、「私にどんな責任があるのかって? 彼を愛し、面倒をみて、寿命を延ばし、人生の最期を改善した責任だ」と言い返す場面もあった。

ルケ医師は、「これ以上できないほど、すべてのこと」をしたと説明。手術に言及した際には、「私は神経外科医であり、私の仕事は終わった。彼とともに終わった」と述べ、マラドーナさんの自宅療養は自らの責任外だと強調した。

「彼はリハビリセンターに行くべきだった。そうしたがらなかった」とルケ医師は言い、マラドーナさんは「手に負えなかった」と話した。

除細動器の不備や、マラドーナさんの自宅前に救急車が待機していなかった理由については、わからないと述べた。

そして、マラドーナさんは「ひどく悲しんで、ひとりになりたがっていた。ただ、娘たちや家族、周囲の人たちを愛していなかったからではない」と話した。


伝説的選手

マラドーナさんはアルゼンチン代表チームで、攻撃的ミッドフィルダーと監督を務めた。ワールドカップ(W杯)に4度出場し、91試合で34ゴールを挙げた。

1986年のW杯ではキャプテンとして同代表を優勝に導いた。準々決勝のイングランド戦では有名な「神の手」ゴールを決めた。


1990年イタリア大会でも決勝へと代表チームを導いたが、西ドイツ(当時)に敗れた。1994年アメリカ大会でも代表チームのキャプテンを務めたが、薬物検査でエフェドリンが検出され、帰国を命じられた。

クラブ選手としては、バルセロナとナポリ(イタリア)などで活躍。ナポリ時代には、イタリアのプロリーグ・セリエAで2度優勝した。

サッカー選手人生をスタートさせたのは、アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)だった。セビージャ(スペイン)、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)、ニューウェルズ・オールドボーイズ(同)でもプレーした。

薬物中毒との闘い

選手人生の後半は、コカイン中毒との闘いだった。1991年のコカイン検査で陽性と判定され、15カ月の出場停止処分を受けた。

1997年の37歳の誕生日にプロ選手を引退。ボカ・ジュニアーズに2度目の所属中だった。

アルゼンチンの2チームで短期間、監督を務めた後、2008年に同国代表チームの監督に就任。2010年のW杯では準々決勝でドイツに敗れ、監督を退いた。

その後、アラブ首長国連邦(UAE)とメキシコのチームで監督を務めた。亡くなったときには、アルゼンチンのトップリーグに所属するヒムナシア・イ・エスグリマの監督だった。

(英語記事 Maradona's doctor investigated over 'manslaughter'