日本はアジア諸国、米国、インド、オーストラリア、ニュージーランド、英国などの諸国と、経済と安全保障の分野で強固な協力関係を築き、あるいは同盟関係を結んで「中国の影」と対峙(たいじ)する必要がある。ここには米国が加わるが、それは下村が批判した「アメリカの影」を引きずるものであってはならない。自主的な経済と安全保障政策の構築が必要だ。米国はそのための手段でしかない。

 日本にとって、さらに必要なのは経済力の底上げだ。この点について、下村は「アメリカの影」を脱するために「忘れてはならない基本的な問題は、日本の一億二千万人の生活をどうするのか、よりよい就業の機会を与えるにはどうすべきか、という点」を重視すべきだとした。この見方は、今日の「中国の影」に対してもまったく同様だ。

 この点でも田村氏は下村と同じで、積極的なポリシーミックス(財政政策と金融政策の組み合わせ)の採用によって、政府は国債を発行して積極的な財政政策を行い、日本銀行は金融緩和政策を行うべきだとしている。田村氏のケインズ経済学的なポリシーミックス論は、日本の現状では正しい政策の在り方の一つだ。筆者のリフレ理論(正確にはニューケインジアン積極派)との違いは、最近、高橋洋一氏との共著「日本経済再起動」(かや書房)にも書いた。興味のある方は参照していただきたいが、問題はそんな理論的な差異ではない。

 田村氏は、「ありえない日本の財政破綻のリスクよりも、現実として起きている中国の膨張によるリスクのほうがよっぽど『次世代にツケを回してはいけない』大問題」だと断言している。この主張にも全面的に賛同する。そのためには日本経済を再起動させていかなくてはならない。

 だが、日本の財政当局は緊縮スタンスをとることで、中国の全体主義に間接的に寄与している。最近でも話題になった報道では「財務当局は『悔しさもいくつかあるが、めいっぱい闘った。給付金はほぼ排除できたし、雇用調整助成金も持続化給付金もGoToキャンペーンも、春にやったバラマキはすべて出口を描けた』と胸を張った」という、どうしようもないみみっちい官僚目線が伝えられている。

 第3次補正予算には多くのメディアが財政規律の観点で「過大」だと声をそろえる。日本経済の国内総生産(GDP)ギャップの拡大規模からいって、政府の「真水」の規模は不足こそあれ、「過大」などとは国民経済の目線では決して言うことができないはずだ。

 もちろん田村氏が指摘するように、財務官僚ばかり批判しても始まらないかもしれない。政治の意志の強さがやはり求められる。そのためには国民の支援も必要だ。しかし、マスコミの世論誘導の成果なのか、今の世論では新型コロナ感染症抑制と経済活動の再開が二者択一で、どちらかを選ばないといけないかのような見方をされている。その典型が「GoToキャンペーンたたき」だ。
マスク姿で通勤する会社員ら=2020年12月8日、大阪市北区(沢野貴信撮影)
マスク姿で通勤する会社員ら=2020年12月8日、大阪市北区(沢野貴信撮影)
 ここでも田村氏の警告が役立つ。「コロナを正しく恐れて、そして経済再生に力を入れよ」というのが、彼の最近の主張の核である。この言葉をわれわれは正しく理解しなくてはいけない。